2008年7月1日火曜日

世界一周 in (9)中国/僕らはみんな生きている







DATE:2008/07/01 China - Chengdo -


都江堰と青城山というところが成都の近くにある。
なんだかわからんが世界遺産らしい。


というわけで行ってきました、都江堰と青城山。

地図もなし、ガイドブックもなし。
そもそもそこについて何も調べていない。
わかっているのは行き方だけ。
という中途半端な知識で目指した都江堰と青城山。

何があるのかも、何で世界遺産なのかもわからずに、
とりあえずバスに乗り込み出発進行!



バスは1時間ばかりで都江堰という場所に着く。

都江堰の町並みをバスが抜けていく。
そこでやっと気づく。



ここは震源地直下の町だった。



ぼろぼろに崩れかけたビルが立ち並び、
瓦礫の山があちらこちらに積み上げられている。

ビニールシートで作られたテントが並び、
広場には仮設住宅が並んでいた。


そうだ、ここは5万人が死んだ地震が起きた場所なのだ。

成都に着くまではなんとなく考えていたのだが、
そのあまりの影響のなさにすっかり忘れかけていた。

しかしそれがやはり事実だったということを、
ひび割れたビル達に思い知らされる。


バスを降り、世界遺産の前に町をまわってみる事にする。

青いビニールシートが並んだ町並みの中に居ると、
僕はただの傍観者でしかないんだなぁということに気づく。

崩れかけたビル、積み上げられた瓦礫や仮設住宅。
それらにカメラを向ける。
その時の僕はただの傍観者であり、興味本位の固まりだ。

僕にできるのはただ、物を買うことぐらい。
路上で桃を売っているオバチャンから幾つかの桃をいただく。



震災者がどのような気持ちで暮らしているか。
それはわからない。

ただし彼らは生きている。

仮設住宅の脇に干された洗濯物。その片隅では料理をする音が聞こえる。
崩れた店先にテーブルを置いて商売をする人たち。


失ったもの。家族、家、財産。
残ったもの。命。

ビニールの青い天井を見上げながら、彼らは何を思うのだろう。

震災から1ヶ月たった今、
そこには既に悲しみだけではない何かが生きている気がした。



人間とは強いものだ。なのか。
生きるとはそういうものだ。なのか。


ただ僕らは生きている。


その事実だけがそこにはあった。



感慨深い気持ちに包まれて、町を離れ観光をすることにする。


しかし、何が観光名所なのかもわからない。
着けば観光案内ぐらいあるだろうと思っていたが、
地震の影響でその建物ごと崩れていたりする。

とりあえず青城山行きのバスに乗ることにする。

町めぐりをしてしまったため時間は後2時間ほどしかない。
終点の青城山まで行けば帰りのことを考えると1時間ほどだろう。

ともかく終点まで行けばいいやと気軽にバスに乗って進んでいく。

すると、ところどころ観光名所らしきところを通り過ぎる。
でも何の情報もないので降りるわけには行かない。
時間もないので間違いは命取りだ。


そんなこんなで欲望と戦いながらバスに揺られていると青城山に到着。
なんだかただの山のようである。

ちょっと進んでみると世界遺産になった理由がわかる。


ここは道教開祖の地だったのだ。
中国人観光客も多く、参拝客が熱心にお祈りしているのがわかる。

しかしながらここも地震の影響を受け、
最初の寺院のみしか入ることができない。

山に登る道もあるのだが、時間がないのでここで切り上げることにする。


長距離バスのバス停までのバスの中、
途中のバス停でボードをかかえてこちらにアピールをしているオジサンがいる。

なんだろうと思ってみると。
「成都 10元」
と書いたボードを持っているようである。

なんと、成都までの客を途中で強奪しようということらしい。
通常料金は16元のため、こちらの方が安い。

というわけで僕を含めてみんな途中下車。
オジサンの違法?バスに乗り込む。


震災の中、こうやってしっかり生きている人がいることに
なんだかホッとする。
とは言え、客を取り過ぎたらしくバスの中は、
小さなプラスチックの椅子まで導入されていたけれどw


なんだか、今日は世界遺産見学というよりも
震災地見学という感じがする一日だった。


リアル。

新聞やテレビにはない圧倒的なリアルがそこにあり、
そして生きる姿がそこにあった。


死ぬときはかっこよく死にたいね。なんて思うけれど、
かっこ悪くても生きてるほうが、死ぬよりもかっこいい。

そんなブルーハーツに歌詞があったっけかな。



僕はやはり生きていたい。

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