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DATE:2008/04/16 Malaysia - Langkawi -
マレーシア最後の日。
ただひたすらビーチで本を読み、もの思いにふける。
マレーシアという国。
もっとも面白かったのは多民族国家ということだろう。
マレー、中華、インド系。
さまざまな出身の人々がそのルーツや文化を崩さずに共存している国。
それは食べ物だったり、建物だったり、さまざまなところに顔を出すのだが、
個人的にはその多民族が融合しているというよりは共存なのだろうなぁと感じた。
なんとなく間借りというイメージも似合う。
中華、インド系の人々はマレーシアに所属しているというよりも、
自国に心を置き、マレーシアという国に間借りしているようにも見えた。
そしてもうひとつ。
この国は先進国に近い発展をしているということも面白いポイントだった。
近代的な建物、整備された道路やインフラ設備。
見た目だけみれば先進国といって問題はないような気がする。
ただし、彼らの文化レベルはそう進んではいないのかもしれない。
衛生面はアジア然としたものだし、サービスの面では個人の利益しか考えていない人も目立つ。
そういった意味で文化というものの進化スピードは経済とは比例しないものなのだと感じた。
先進国。といえばこの国の人々の距離感も、なかなかつかみづらい。
笑顔を向けたときの反応がなんだか鈍いのだ。
でもこれは僕が暮らしていた東京も同じようなものなのかもしれない。
むしろその距離感が心地よくて東京という場所が好きだった。
お金というものを考える。
それは人間関係を間接化する。
お金という間接材がなければ、人は生きるために誰かと関わらなければならない。
食物、モノ。足りないものは誰かとの関わりで手に入れるしかない。
昔はそれが物々交換であり、いまはその間にお金が挟まる。
生命の安定ということのみを考えればそれは正しい進化なのかもしれない。
安定はリスクを軽減させ、生を永らえらせる。
お金さえあれば生きるために必要なものは大概手に入る。
誰かと交渉し、何かを手に入れることに比べればリスクの大きさは比ではない。
また、ベクトルも単純になる。お金さえ手に入れれば良いのだから。
生きることが至極単純になった。人々は生産しお金を得、生きる材料を手に入れる。
経済の発展はそのお金を最大化し、全ての関係に「How much」の物差しを作る作業に過ぎない。
その際に犠牲に、というよりも好んで捨て去っているのは人との関わりなのかもしれない。
経済の発展と共に、距離感は広がっていくのかもしれない。
ただし、進化は強者へ向かうのではなく適応に向かう。
安定とは強者としての形を維持するベクトルだ。果たしてそれは進化へ向かっているのだろうか。
いま僕たちの距離感は安定ではなく、停滞なのではないだろうか。
でも。
僕たちはそれだけでは生きていけないことはわかってる。
その証拠に子供たちは良く笑うのだ。この国でも。
笑顔に対して、はにかみながらでも笑い返す。
そんな世界のバランスも良いと思う。
ひとり空を見て、好きな子を思い浮かべるとき、「お金」なんて一欠けらも存在してやいないのだから。
マレーシア。この国でも沢山の人に会い、笑い、話をしてきた。
多民族国家、経済の発展。感じることは多かった。
結局のところこの国のこともまた好きになったのだろう。
また来るね。と心に思い、ビールを飲み、最後の夜が過ぎていく。
ありがとうマレーシア!
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