2009年1月20日火曜日

世界一周(32)トルコ/イスタンブール!







DATE:2009/01/20 Turkey - Istanbul -


ぼんやりとした視界の中、
まぶたの中に映ったのは高層ビルがにょきにょきと生える大都会で、
東京に戻ってきてしまったのではないかと夢心地に思った。

まだ太陽も昇り始めたばかりの街は、
うっすらとした霧をまとい目覚めのときを待っているようだ。

アジア側で一度停車したバスは、
そのまま走り続け橋を渡った。
朝靄の中、ぼんやりとした大陸の終わりは
ボスポラス海峡を渡るとあっという間に見えなくなった。
そして僕らはヨーロッパへとたどり着いた。


そう、ここはイスタンブール。

アジアの終点。そしてヨーロッパの始まりの場所。
あるいはヨーロッパの終点。アジアの始まりの場所。


エジプトからトルコへと中東の国々を駆け抜けて、
僕はようやくヨーロッパの入り口へと戻ってきた。

そしてそれはアジア・中東の旅への別れでもある。

あっという間に1年の時が過ぎようとしていた。
その短すぎる時間の中で僕は、
多くの人と出会い、沢山の町に出会った。
過ぎ去った時間の中にいくつもの宝物がきらめいている。


それにしても。


遠くへきたものだ。


ここよりさらに遠く離れたヨーロッパの国々よりも、
それをこの場所でより感じてしまうのはなぜだろう。

境界線の街には何かしら魔法があるということなのだろう。
旅人はその魔法にかかり、そして旅情に駆られるということだ。
誰もがみな、この場所で旅を振り返る。



たどり着いたバスターミナルから地下鉄に乗り、
トラムを乗り継いで宿のある場所へと向かった。

こうして移動していても、
この街が今まで見てきた街の中でも圧倒的に都会であることがわかる。

行き交う人々は洗練された服を身にまとい、
メトロやトラムといった交通機関も張り巡らされ、
掃除の行き届いた街には多くの人が行き交っている。

そういえば高層ビルなんてものを見たのも久しぶりかもしれない。

レバノンの廃墟的な高層ビルを除けば、
ヨーロッパを含めて高層ビルなどを見ることは殆どなかった。
特に乱立という言葉が似合うほどのビル群は、
アジアを除いて未だかつて見たことのないものだ。

トルコは思ったよりも確実に成長をしているらしい。
その成長を謳歌するように街は活気に溢れている。

とはいえその影がないでもないらしい。
高層ビルの陰に潜むように廃墟のような住宅街が、
日の当たらない場所でひっそりと暖炉の煙を上げていた。

世界のどこにでもある格差というやつが、
イスタンブールの街にもまたあるということだった。



何百年も侵略されずに独立を守った旧名コンスタンティノープル。

その街には当然のように多くの歴史的遺産が残る。

ブルーモスクにアヤソフィア。
そしてトプカプ宮殿といったところが主な名所だが、
それらは全て一箇所に固まっており、多くの観光客が行き交う。


現在はムスリム国家のトルコも、
かつてローマ帝国の首都だった歴史からもわかるようにキリスト教を信仰していた時代もあった。
そして例の有名なオスマン艦隊の山越えによって、
イスラムの歴史が始まったのである。

時代の移り変わりと共に変わっていく文化が、
この場所にいくつも重なり合い多様な色を生み出している。



トラムから降り、にぎわう街の中に降り立つ。
4車線の大きな道にはひっきりなしに車が走っている。
その真ん中を忙しなくトラムが走っている。
急ぎ足。急ぎ足。これが都会ってやつだ。

そこには思っていたほどの情緒はなく、
アジアとヨーロッパの境界線では
ただ大きな都会の波が轟々と音を立てて流れていた。


何件かまわって決めた宿に荷物を下ろすと、
時間もあったので近くにあるブルーモスクへと行ってみることにした。




ブルーモスク。

世界で最も美しいモスク。

天を突き刺すように伸びた6本のミナレット。
幾重にも丸天井が積み重なる巨大なドーム。

入り口をくぐると窓から忍び込んだ陰と夕日が赤い絨毯の上に
オレンジの陽だまりを染み込ませ格子模様の線を引いていた。

天井から吊り下げられた大きな円形のシャンデリアが
頭の上に大きな光の円を描いている。

円形のドームをぐるりと取り囲むように空けられた窓には、
美しい色とりどりのステンドグラスがはめ込まれ、
ドームの中に絵のように浮かび上がる。

曲線を多く利用した壁や柱には、
赤や青のタイルが張られ唐草模様がびっしりと覆いつくしている。


ただ僕はその中で立ちつくしかなかった。

その一部でも写真の中に収めようとカメラのファインダーをのぞくが、
どこを撮ってもそれが命のない偶像のようになってしまい、
しまいに僕はそれを諦めてただ立ち尽くした。

偶像崇拝を禁じたイスラムの教えは正しいのかもしれない。
世の中には形にしてしまうと消えてしまうものが沢山あるのだ。



イスラムのアラベスク模様はなんて美しいのだろう。

そのシンプルなデザインの中に込められた色や形には、
何百年もの間積み重ねてきた技術による究極が閉じ込められている気がする。


ふと、アントニオ・ガウディのことを思った。

きっとブルーモスクの持つ美しい曲線が彼を思い起こさせたのだろう。
彼もまた曲線美を究極まで高めようと試行錯誤した天才の一人だからだ。


彼がもし。イスラム教徒であったのならば。


そんな空想が頭を駆け巡った。

もしそうであれば。彼は何を残したのだろうか。
イスラムが培ったアラベスクと彼の曲線美。
きっとまだ誰もが想像したこともない何かを残したに違いない。


そう思うと歴史のせいなのか、
今残る偉大な作家たちのほとんどはキリスト教にまつわる人々だ。

単に知らないだけなのかイスラム教関連で、
そういった偉大な作家の名前を僕はまだ聞いたことがない。


これほど美しいものを作れる人々に名前がないなんて。

それもまた美しい事実のひとつなのかも知れないと思った。


教科書には載っていない名もなき人の作る歴史。
丸暗記の年表の中にはない世界が今日もまた世界を動かしている。


アジアの端。イスラムの端っこで、
僕はまた美しい事実を知った。

2009年1月19日月曜日

世界一周(32)トルコ/温泉とビールと夕日







DATE:2009/01/19 Turkey - Pamukkale -


温泉~♪温泉~♪温泉~♪


温泉!と聞いてやっぱりテンションがあがるのは、
そこは日本人だからというところだろう。

何百年も続く温泉保養地、
パムッカレの実力を確かめるべく、
僕らは水着とタオルをひっさげて温泉地行きのバスに乗り込んだ。


パムッカレは温泉地。

と言ってもそれはやっぱりトルコのやることで、
日本の箱根とも違い、ましてや熱海なんかとも違うもので、
行ってみたは良いものの「温泉施設」らしきものがさっぱり見つからない。

唯一、バスの運転手に「ここが温泉」と降ろされた、
なんだか公園の一角の噴水みたいな無料の温泉と、
やたらと高い高級スパリゾートのような温泉があるぐらいだ。

小さな町の中を歩くと、
なにやら湯気が立ち込める温泉らしきものがあるのだが、
それはどうやら宿泊者専用のものらしく、
僕ら一見さんが使えるかどうかはわからない。

町には人通りがほとんどなく、
のんびりとおじさん達がベンチに座って談笑なんかしている。
どうやらシーズンオフらしいのだが、
それにしてもツーリストらしい姿はとんと見かけない。


仕方がない、最初の無料温泉に入るか。

と、本当は有料なんだろうけれど、
客が誰もいなくて管理もされていないボロボロの更衣室で水着に着替え、
いざ寂れた温泉へと向かう。

真っ白の大地パムッカレとは異なり、
茶色い土気色のプチパムッカレな棚田温泉には
欧米人らしきカップルが足湯でぴちゃぴちゃしている。

こんな水着まで着て入ろうなんてのは日本人ぐらいしかいないようだ。
そこは温泉大国ニッポンをしっかりアピールしなくてはならない。

ダウンジャケットが必要な冬空の下、
海パンいっちょの男+1がいま温泉の上に立ち上がった。

温泉の中にはなんだかドロドロとした砂なのか泥なのかが、
どよーんと沈んでいる。
近くの看板には泥パックをしている人の写真があったが、
そもそもこんなところの泥をパックなんてして、
体がどーにかなっちゃわないのかが心配だ。
それよりこんな汚れた使い古しの泥があるところに入っていいのか。

いーや、そんなことは知ったこっちゃない。ここは温泉なのだ!
お土産屋の親父に笑われようが、僕らはこれに挑むのだ!


いざ!


湯気煙る温泉の中に足を入れる。


あ、あ、、、、温ったけ~~~~!!!!!


これぞ温泉。このぬくもり、これこそが温泉。
久しく忘れていた温もりにゆったりと身を沈める。


THE 極楽 in トルコ。


もう足元のぬるぬるなんて気にならない。
後は温泉に身をゆだねるだけだ。
とろとろになるまで体を湯に浸す。


そして温泉といえば。ビール♪

と、勝手に外から買ってきたビールを温泉に入りながら乾杯♪
いやぁ、これぞ至福。日本人の極楽。


しばらくすると酔った勢いからか、
もう泥の汚れやなんかも気にならなくなり、
顔や腕に塗って泥パックを始める。

泥パックなんてやったこともないが、
なんだか効きそうな匂いがする。
硫黄の香り漂う泥を付けて数分もすると、
その泥が乾きパリパリに。
それを温泉のお湯を使って洗い落とす贅沢。

死海の泥パックなんてのもあったが、あんなのだめだ。
死海でそのままやったら待っている間にひりひりするし、
さらに目に入るのが怖くて顔パックなんてできたもんじゃない。
やっぱり泥パックは温泉地が一番なのである。


そんなこんなでしっかりと温泉を堪能していると、
いつの間にか夕日が沈み、
温泉に写るその姿をぼーっと眺めながら旅の疲れを洗い流した。


トルコ万歳、パムッカレ万歳。

憧れの地、パムッカレがくれた最後の思い出に別れを告げて、
トルコ最後の地、そしてアジア最後の地イスタンブールへ向かうバスへと乗り込んだ。



そしてバスの中。

「うぉ、なんだこれ。ちょーすべすべ!」
「まじ。やばいねこれ。パムッカレちょー最高!」

とお肌すべすべの二人が大はしゃぎしたのは言うまでもない。



やっぱし温泉最高!!!!

2009年1月18日日曜日

世界一周(32)トルコ/白い大地にゆれる想い










DATE:2009/01/18 Turkey - Pamukkale -


まだ暗闇の中の世界にはうっすらと白い大地が見えていた。

パムッカレへ来た。

その感動が胸を締める。


真っ暗にもかかわらず客引きのお兄ちゃんは商売熱心で、
とりあえずその宿のロビーに居座り
これからの予定について作戦会議をすることにした。

正直言うと先を急ぎたかった僕だが、
マサミの「温泉だよ。日本人だよ」の一言に押され、
結局は今日1泊して明日パムッカレ近くの温泉地へと行くことにした。


真っ白な大地へいざ行かん。

と再出発したのは結局いつもの通り、
ぐだぐだしたお昼間近で太陽は真上まで昇っていた。


しかしまぁ。
遠くから見てもやはりまっしろな山である。

石灰質の物質で覆われたその白い山は、
温泉地としても有名で石灰質を含むお湯が、
絶え間なく懇々と流れている。

そのせいで山は真っ白く色づくようになったわけだが、
観光化の影響もあってか、その温泉も枯れ始めているとのことで、
現在では夏の間しかパムッカレの白い大地には流さないようにしているらしい。

そして現在は冬。
ベストのコンディションではないが遠くから見る姿は十分に美しい。

僕らは入場チケットを握り締めて、
真っ白い山に向けてえっちらおっちらと歩みを進めた。






真っ白な棚田。

水を抱いたその棚は薄く水色が揺らめいている。
その水色の上をまっしろい雲が通り過ぎ、
やっとそれが空が写った姿なのだと知った。

扇のように広がった白い棚田は、
下へ下へといくつもの扇を放射状に広げている。
水は上から流れ落ち、いったん棚田の中でゆっくりと平行移動を続けたあと、
また下へと流れ落ち、別の棚田での平行移動をはじめる。
ちょうどテーブルの上に水をこぼしたような滑らかな動きが、
何度も何度も繰り返されている。

放射状の沢山の扇は空をいくつもに切り取り、
それぞれの分け前を水鏡に映し自らを青く染めようとする。

空はひとつのはずなのに。
その世界にいると万華鏡の中に閉じ込められたような不思議な気分になった。


白い山は歩いて登ることができる。

温泉の生暖かいお湯の中を靴を脱ぎ、靴下を脱いで登っていく。
うっすらと硫黄の匂いが煙っている。
真っ白い岩肌は意外にも固く、
どんなにふんずけても砕ける様子はない。

白い山を登りながら棚田を横から見ると、
それがマシュマロのように盛り上がっていて、
コンピューターグラフィックの世界の中にいるようだ。

足元を細かい石灰石の水紋ができている。
まるで珊瑚のようなその水紋は良く見ると、
小さな棚田であることがわかる。

これが大きくなれば目の前に広がる
水をたたえた棚田たちへと成長していくのだろう。
何百年後のこの場所はきっと姿を変えている。
そしてそれは何百年前とはまったく違う姿の場所にいるということでもあった。


白い山の頂上付近は、
温泉の成分が濃いからかなぜか黄色や茶色い色をしている。
よく見てみるとそれは白い岩肌に付着した姿だった。
これが塗り固まり石灰石が棚田状に整形されていく。
その歴史の始まりがいま目の前にあった。

歴史は一秒一秒、現在を飲み込んで過去に塗りこめる。
今見ている世界は二度とやってこない。
次ぎに見た世界はどんなに同じ場所であっても、
今を再現することはないのだ。

それはきっと同じ誰か、同じ時間、同じ自分。
そのどれもが変わっていくことでもあるのだろう。
今日の自分は昨日の自分ではない。
今見た何かがまた僕を明日の自分へと変えていくのだ。

過去の僕は今の為にあり、今の自分は未来の為にある。

続いてく人生に生まれ変わり続ける白い大地を重ねた。



真っ白な丘の上には土と草原の大地が広がり、
過去の歴史の跡がひっそりと横たわっている。

何百年も前、
温泉保養地として栄えたこの場所は大地震をきっかけに、
またただの大地へと戻っていった。

足元には延々と倒れた柱の跡が残っている。
繁栄の歴史を物語るように柱にはそれぞれ年代に違いがあり、
それはいくつもの時を重ねてこの場所が栄えていた証拠でもあった。

そんな丘の上を歩きローマ劇場の観客席に座り込むと、
その歴史の風にやられたのかなぜか今までの旅の事が頭の中で踊った。そして今の自分のことも。



なぜ僕はこんなにも旅を急いでいるのだろう。


そんな考えが頭の中から離れなくなった。

それはただ旅の話でもあったし、人生の話でもあった。

旅のタイムリミット。そして人生のタイムリミット。
そんなものをいつ決めたのだろうか。


僕は気づいてしまったのだ。

日本に残した好きな子を失った今、
僕は日本に帰らなくては行いけない理由を失ってしまったのだと。

それに気づいてしまうと、
なんだか自分の存在がやけに宙ぶらりんであると思った。

いつの間にか自分の人生を考える中で、
彼女の存在が大きくなっていたのかもしれない。
現実的なことを抜きにして結婚とかそういったことも
帰国後の人生の中にはあるのかも、とぼんやりとあったのは確かだ。

だからそれが一気になくなって、
自分の人生を再構築する必要が出てきたのにやっと気づいたのだ。

そしてその選択肢がこの旅を通して、
いつの間にか無制限に広がってしまっている事実に、
今、この場所で愕然としているのだった。


例えば日本に帰るという選択肢。

現実的な意味での一時帰国。
それは抜きとして考えると別に他の国で働くことも悪くはないし、
それが非現実的なものであるとは考えられなかった。

もちろん旅人として生きていくというのもありだが、
そんなインプットだけの人生なんてまっぴらごめんだ。

働くということは魅力的な遊びのひとつだし、
それに対しては何にも抵抗感は感じないのだが、
それが「何で」「どこで」あるかについて、
僕のリミッターはいつの間にか振り切れてしまっていた。

そしてリミッターのない人生というのは、えらく難儀なことなのだ。

誰もが多かれ少なかれ人生の中で、
「不自由」をこしらえてその中で生きようとするなかで、
自由というのはなんて非効率なことなんだと、僕はもう知っている。

誰もが10の選択肢の中から選ぶ中、
自由とは1000の選択肢から選ばなくてはならないのだから。

人の100倍のエネルギーがいるのだ自由とは。

それはある意味で100倍のエネルギーの損失を意味している。

もちろん誰もが持っていない990の選択肢の中に、
ひときわきらめく宝物があることは知ってはいるけれど、
そのために100倍もの努力をするのはなんて困難な道なのだろう。

それを選ぶのも悪くはないが、
僕はただ楽しく幸せに生きられれば良いのだ。
100倍の努力をするのならば
僕は人の二分の一の努力で幸せになる方法を探したい、そんなぐーたらな奴なのだ。


さて、困ってしまったぞ。

そんなことを他人事のように思った。

風の音が壊れた劇場の中で歌っていた。
空は晴れて劇場の最上段からはスクリーンのような青が広がっている。
そんな止まったような世界でさえ、
雲は流れ僕を置いてきぼりにして世界は動いていた。





ま、どーにかなるか。


見上げた空から視線を戻し、姿勢を正した。


無計画の人生なんていつものことだ。
単にふりだしに戻っただけじゃないか。

ただ目の前に転がった幸運を最高のステップで奪い取ればよい。

そうやって今まで生きてきた。
何も特別なことではない。

1・2・3、1・2・3。

軽くステップを踏み、
あとは「幸せ」に気づける感性を研ぎ澄ますだけだ。

そうだ、耳を済ませよう。
そうだ、目を見開こう。

とっくの昔に引退した朽ちた舞台の上では、ただ風だけが舞っていた。
僕はそのびゅうびゅうとなるステップを心地よく聞いた。




丘の上の遺跡を周り過去の温泉保養地の遺跡を回ると、
あっという間に夕暮れ時となった。

丘の上には遠い過去にこの地を愛した人々の墓が立てられている。

石で立てられたその墓の多くは、
この地に起きたという大地震の影響か崩れ落ち、
その物悲しさが独特の雰囲気を醸し出している。


そんな栄衰の残り香がこの丘には吹いている。
だから僕は思いを引きずりだされたのかもしれない。
でもそれはきっと、今の僕にとって必要なことなのだったと思う。
なんにせよ僕はまた次へまた一歩進めるのだから。



沈む夕日を追いかけていくと、
白い大地の水の中をオレンジ色の空が泳いでいった。

あっという間に泳ぎ去った夕日は遠い空の中、
ゆっくりと山の中に沈んでいった。

2009年1月17日土曜日

世界一周(32)トルコ/地下の町。と岩の城。










DATE:2009/01/17 Turkey - Cappadocia -


見上げれば暗闇の中に点のような空が見える。

ここはアンダーグラウンドシティ地下8階。
隠れクリスチャン達が暮らした町だ。


隠れ家の中は意外にも広く、
縦横無尽に張り巡らされた洞穴がいくつもの部屋を繋いでいる。

ワインセラー、学校、トイレに食卓。

本当に何でもありの地下都市だ。

何十年、何百年と彫り続けられた都市には、
日常に必要なありとあらゆる施設がそろっている。

学校まであるのには驚いたが、
ワインセラーや醸造所までがあるのが、
そこはやはりクリスチャンといったところだろう。
地下都市産のワイン。少しは飲んでみたい気もする。
温度管理が大切なワインにおいて、
この場所は意外と適切だったりしたのかもしれない。



地下都市へはギョレメからバスでネブシェヒルへ行き、
そこから別のバスへ乗り換えてデリンキューという場所で降りる。

早朝、早起きした僕らはカッパドキアの空に浮かぶ気球を見て、
トルコ風の朝ごはんを食べてから地下都市行きのバスへ乗り込んだ。

この気球という奴に乗っては見たかったが、
一人2万円という価格はバックパッカーには許される額ではなく、
しかたなしに諦めることにした。
それでも遠くから眺める気球の姿は朝の景色にぴったりで、
岩と町の間をいく気球を眺めているとなんだかため息が出たほどだった。

朝っぱらからビールを飲んでほろ酔い気分でバスに乗り込むと、
そのせいか途中でマサミがトイレに行きたくなり、
バスに切れて途中で止めようと必死に抵抗するのをなだめすかし、
なんとか辿り着いた地下都市の町であった。


地下都市の入り口は本当に小さな一人分が入れるスペースしかなく、
ここがやはり隠れて住むための場所だったことがわかる。
観光地化される前はもっとわかりづらい場所だったのだろう、
その当時はこの場所はただの野原に見えていたに違いない。

その細い階段を下りていくと、
一度広い広間に辿り着くが、
そこからさらにいくつもの階段が伸びている。

案内標識に従って歩いたが、
もしそれを無視していたら中で迷ってしまうに違いない。
それほどに入り組んだ地下迷宮が作られていた。

なぜか居座る一匹の猫。

迷い込んだのか、それともここで暮らしているのか。
日向ぼっこを好む猫が地下猫になるなんて。変な話だ。


階段を降りていくと、
右側になんだか小さな部屋があることに気づく。

そこには昔のお金のような大きな丸い石が置かれているだけで、
何のための部屋なのかが一向にわからない。

しばらく考えてこれが何かがわかった。


階段を歩いていくといくつものそれが見つかり、
この地下都市の厳戒さがうかがえた。
ここは単なる居住区なだけではないのだ。
迫害を逃れたキリスト教徒が隠れ住み、
敵から身を守るシェルターでもあったのだ。


そう、それは「鍵」だった。

道を閉ざし、敵から身を守るための。

緊急時にはその丸い石を道に落として、
敵が通れないようにロックをしていたのだろう。
階段の至る所にあるのは敵の進入具合によって、
いつでも鍵をかけられるようにだ。
単なる住居ではない歴史がそこには残っていた。



そういう視点で見ると、
この地下都市はいくつもの仕掛けがある。

例えば地下8階。
最後の行き止まりはなぜか細い半円形の通路が作られていて、
右側の入り口から入ると左側の出口から同じ道に出られるようになっている。

この何の意味もない通路は何のためだろうか。
それはきっと最後の最後、退路を絶たれたときに逃げ込むための通路で、
何の機能ももたないその通路は生きるための知恵だった。

そう思うとこの都市の階段や通路が、
あまりにも狭いことにも納得がいく。

大人一人が屈まなくては通れないほどの通路がいくつもあり、
それはきっと敵の侵入に備えて、
一度にたくさんの人が入り込めないようにしていたのだ。


その他にも子供だけが通れるような小さな通路や、
行き止まりの階段など、いくつもの仕掛けがあり、
そのどれもが生きていくための知恵だったのだと思う。

この地下都市が進入を許したかどうかは、
あまり良く知ってはいないが、
それに対する準備は十分に行われていたのだと思う。



しかし排泄物はどうしていたのだろう。

生きている以上、それをしなければならず、
地下という構造はそれに適した環境とは言えない。

部屋の中に土でできたおまるのようなものがあったが、
それを利用して排泄していたのだろうか。
そんな小さなことが気になった。

食物は外から手に入れる必要がある以上、
たんに地下生活だけを営んでいたとは思えない。

そんな外と地下の二重の生活が、
きっとこの場所では行われていたに違いない。
そう思うともしかしたらこの地下での生活は、
冒険のようで案外楽しいものだったのかもしれないと思った。




地下都市を出てネブシェヒルの町に戻ってからは、
昼食を食べに町に出かけた。

特にこれと言った特徴のない小さな町だが、
トルコの町は今まで行った中東の国とは
圧倒的にレベルが異なり小さいとはいえ十分な町の機能を持っている。

トルコが自身をヨーロッパだと思っている、という話も何だか頷ける。
それほどトルコの町は一ランク違った近代化を果たしていた。


トルコ料理もまた格段においしい。

お昼に食べたのは何の変哲もないスープだったが、
パンにつけて食べるそれは格別においしいものだった。

本場のケバブ。そしてたくさんのトルコ料理たち。

これからの食事に大いなる期待が持てる。
なにせ食事とは旅にとって最も楽しいもののひとつなのだ。
それがおいしくないなんて、なっちゃない。



ここからはウチサルの城へと向かう予定だったが、
どうやらウチサル行きのバスは30分ほどしないと来ないらしく、
どうせならば、とヒッチハイクにチャレンジしてみることにした。

ウチサルへ行く道らしき方向に歩きながら、
二人で満面の笑みで親指を突き立てる。
しかしこれがなかなか止まらない。

それならばと作戦を練り直し、
もうちょい派手にヒッチハイクをしてみることにする。

なんともウチサルに行きそうな車がやってくる。
そして親指を突きたて、踊る!

そうして始まったダンシング・ヒッチハイク。
これが功を奏したか車は何台か止まってくれた。
が、しかし残念ながらウチサル行きの車は一台もない。
それ以外の車は僕らを見て笑いながら通り過ぎていく。

結局ウチサル行きの車は止まらないのだが、
なんだか踊るのが楽しくなってきて、
どちらかというと人を笑わせるのがメインになってくる。

くねくね。くねくね。くねくね。くねくね。

もはやダンスとは言えない、
なんだかわからない動きで通り過ぎる車を魅了する。

そうして結局30分が経ち、
ウチサル行きのバスは僕らの前に止まったのであった。

無駄な努力バンザイ!



そんなロスタイムもあってか、
ウチサルの町に着いたのはもう夕暮れ時で急いで頂上のお城を目指した。

お城の中にも入れるらしいが、
残念ながら時間がなく周りから見物することで我慢した。

遠くから見えていた城を間近で見るとこれがかなりでかい。

丘の上にかぶせられた帽子のような岩の無数の穴は、
マシンガンでめった打ちにされたように無造作に空けられている。

その人工物のような自然のような姿は砂場で作った砂山のようで
その穴の数々も子供のころ両側から穴を掘って手を繋いだそんな記憶を思い出させた。

しかしこれだけ無造作に穴を掘って、
よくも崩れずに残っているなと感心する。

城の周りにもたくさんの住居跡があり、
そのひとつはホテルとして利用しているらしく、
部屋の中にはライトの明かりが点っていた。

雪が降ったのだろうか丘には少し白い模様が点々と見えた。
転がり落ちそうな石を載せた岩や、
ぽっかりと体に穴を開けた岩を見てまわり丘の下の道まで出ると、
すっかり日は落ちて暗闇に落ちるまであとわずかとなっていた。


その暗くなり始めた道に雨まで降り始めたが、
少しして運よくヒッチハイクすることができ、
宿のあるギョレメの町まで舞い戻った。

宿で食事を取り出発の準備をし、
バスターミナルへと向かい夜行バスへと乗り込んだ。


次に向かう場所。
それは憧れの地、パムッカレ。

石灰石でできた真っ白い大地。
その白い大地の上にはこんこんと温泉が流れ、
空の青を映し出す。

いつか見た映像を思い出す。
そして僕はいまその土地へ向かっていた。

深夜バスはパムッカレの奇妙な大地を抜け、
ただ真っ直ぐなトルコの大地を走る。
暗闇の中に映るトルコの大地を僕はまだ見たことがない。

朝目を覚ませば真っ白な世界の中だ。

それを夢見て、心地よいバスのシートにゆっくりと身を沈めた。

2009年1月16日金曜日

世界一周(32)トルコ/奇妙な岩の森の中






DATE:2009/01/16 Turkey - Cappadocia -


うーんこれは。。。

「ちんこだよねぇ。」
「ちんこだねぇ。」


僕らはその奇石を眺めながらただそれを思った。
目の前にはただその奇妙な形の岩が林のように立っていた。


トルコ最初の地、カッパドキアへ辿り着いたのは早朝で、
朝一番で待っていた客引きに連れられて、
岩の中に作られた宿に泊まることにして、
そのままそこで一眠りした後、昼から僕らはカッパドキアの奇石群の観光に出かけた。

そして巡り合ったのがたくさんのちんこ。もとい、奇妙な形をした石たちだったのだ。


雨や風の浸食を受けてできた奇妙な台地。
それがカッパドキアだ。

その奇石の中には、
居住区に使われたものもあり、
ところどころに穴が開いている。

穴が張り巡らされ洞窟のようになった岩も多数あり、
自然のマンションのような奇妙な印象を受ける。


そしてその岩の形なのだが。。。


きれいに言えば「きのこ岩」というのが正しいのだろうが、
お子ちゃまの僕らにはどう見ても「ちんこ」にしか見えない。
しかもあろうことか先端が乳首のようになった「おっぱい岩」さえもある。

しかし目の周りをちんこやおっぱいで囲まれるのは、
意外にも壮観でやはり圧倒されざるを得ない。

生憎の曇り空だったが
その重苦しい空の下にそびえるたくさんの岩岩たちは
この場所の歴史を物語るように重く腰を下ろしていた。

この地は昔、ローマ帝国に迫害されたキリスト教徒がギリシャから逃れた場所で、
ここに見える穴の一つ一つはその彼らが暮らした穴なのであった。


近くには穴の中に作られた教会もある。

訪れてみるとその内部は作られた年代ごとに、
明らかに趣向が異なるもので、
その違いは見ていて面白いものだった。

例えば初期のころの教会には赤い朱塗りで、
子供の落書きのような十字架や動物の絵が描かれているのに対して、
後期のころになると色とりどりのフレスコの染色がなされ、
その絵の精巧さも比べ物にならないほどになる。

隠匿の歴史にもまたさまざまな変化があったのだ。

この地に隠れ住んだ人々は何百年もの間、
文化を繋ぎこの岩だらけの土地で生き長らえてきたのだ。


教会めぐりを終えて僕らは、
岩の林の中を探索することにした。

遠くにいるときは細い岩だと思っていたものも、
近くに寄ればそれが意外にも大きく人の何倍もあることに驚く。

岩の形もさまざまでひとつとして同じものはないというのはこういうことだろう。
自然が作り出した彫刻は風と共に今も刻々と姿を変えているのかもしれない。


この岩たちが不思議なことは、
普通の平地に見えるところに、ぽつりぽつりと木のように生えているところだ。
単に山が侵食されただけでこのような残り方をすることに、自然の妙味を感じる。


遠くにお城のような巨大な岩山が見えた。
ウチサル城と呼ばれるその場所は本当に城として使われていたものらしい。
小高い丘の上に気づかれたその自然の城は、
高層マンションのようにいくつものを穿たれて、
蜂の巣のように丘の上にぽつりと置かれている。
それを囲むように家々が建ち、町が作られていた。


遠くには波のようにうねりを描くあばら骨のような高台や、
赤土色をした赤い岩山も見える。

カッパドキアと一言に言っても、
その大きさは巨大で今日歩いた場所は、
中心からわずか5キロほど離れた場所に過ぎない。

この奇妙な大地はさらに50キロ四方ほどに広がっていて、
それぞれにまた異なった表情を持っているようだ。
カッパドキアとはこの地方の名前で、
実際には今滞在しているギョレメをはじめとして、
いくつもの町が点在している。

その全てを見ることはできないが、
きっとそれが一つ一つユニークで面白さに富んでいることは間違いないだろう。

遠い向こうに見えるまた別の大地に僕は思いをはせた。


ぽつぽつと降り出した雨に僕らは岩の洞窟の中に入り込み雨宿りをする。

きっとこうやって古代の人々は暮らしていたのかと思うと、
少し肌寒い岩の中もなんだか楽しく思えた。


雨も小降りになり遠くに人の姿を見かけたので行ってみると、
なにやら砂利を外にかき出す作業をしている。

「何をしているの?」と聞いてみると、
水がきちんと流れるように農地の世話をしているのだ。と言った。

こんなところに農地が。

そう思うが歩いているときにいくつかの木々を見かけた。
そしておじさんの背中にはいくつものブドウの木が見える。

「ワインを作るの?」と聞くと、そうだと答え、
リンゴも作るんだよ。と笑顔で返してくれた。

草木もまばらなこの大地にもまた人が生きるための営みがあった。
そりゃそうだ、何百年もこの場所で暮らしてきた人々だ。
彼らにとってはこの大地はかけがえのない生命の源なのだ。


まだ作業を続ける彼を残して僕らは宿への家路へと戻った。
運よく町へ戻る車をヒッチハイクして暖炉の灯る暖かい宿の中へと駆け込んだ。


しばらくしてもなぜかお腹が減らず、
それでも何かを食べなくてはという気がしてマサミと二人で夕食に出かけた。

この土地の名物「つぼケバブ」は、
土のつぼでできた器に入れてシチューのような料理を煮込んだものだったが、
食べる際にはそれを割って食べるという豪快さで、
自分でそれを割ることにチャレンジするも、
それがまた大失敗でつぼ入りシチューを食べることになった。
気をつけないと口の中で「ジャリ」っと音を立てる、
その料理はなんだかとても危険な食べ物のように見えた。

観光客向けのパフォーマンスなんだろうが、
無駄なことはせずに、つぼは割らずにそのまま中身を出して欲しい。
そんな無粋なことを思った。

そのつぼケバブの所為かはわからないが、
なぜかいつも話してばかりの二人の会話が今日はまったく進まず、
「なんだか冷め切った夫婦関係って感じだね」と言って二人は笑った。
そしていつもの馬鹿な二人に戻っていった。


岩の中に作られた宿に戻り、
その洞窟の中で僕らは眠った。

トルコ第一日目はこうして幕を閉じていった。