2009年7月10日金曜日

世界一周(46)パナマ/パナマ運河



















DATE:2009/07/10 Panama - Panama City -


Canal de Panama.

全長80キロメートル。
何万トンもの大型貨物船が行きかう海運の要。

パナマといえば。
そう、言わずと知れたパナマ運河にやっと今日やってきた。

パナマといえば。
なんて言って見たものの僕が知ってるのは、
ここパナマ運河とパナマハットぐらいなもんだ。


運河と聞いてフランスで見たミディ運河を思い出したが、
実際に来てみるとその規模はまったく異なり、
100メートル以上ある大型貨物船がゆっくりと運河を移動していく姿は圧巻。

閘門と呼ばれる門を利用して水位を変える方式は同じだが、
溜められた水が流れ出る姿はこの規模になると洪水に近い。
門もまた分厚く、開閉する姿はゆっくりと重い。

運河の交通も過剰とも思えるほど多く、次々と運河を通り抜けていく。
まるで追い立てられるように船は行き交い、また別の海へと消えていく。


世界経済はやや落ち着きを取り戻した頃だが、
そんな混乱などあったことさえも感じさせぬほど、目に見えて行き交う貿易船。
この世界が1つに繋がっている現実がありありと見える。

中国、アメリカ、日本、オランダ、アルゼンチン...etc

さまざまな国旗が船には掲げられ、貨物には様々な国の会社名が記されている。

中国で作られた洋服を着て、日本製のカメラを使う。
当たり前になった現実社会はこうやって目の前に行き交う船によって作られている。
ここにいると世界の舞台裏を眺めているようでなぜか感慨深くなった。


運河の横には博物館もありパナマ運河の歴史や構造を学ぶことができる。

それによると完成したのは1914年。
アメリカの手によって進められた運河の工事は10年の歳月を得て完成に至った。

その後、アメリカの管理の下で運営されていたが、2000年になりパナマへと返還される。
現在もなお交通量は増加の一途を辿っており、最近では拡張のための工事が行われているようだ。

ちなみに開発当初はパナマはコロンビアの領土だったそうで、
パナマ運河の開設に伴いアメリカが独立を支援しパナマ共和国となったそうだ。
なのでこの運河は独立の大きなきっかけとなったものでもある。

歴史の他にもパナマ運河の清掃方法や水位の上下のさせかたや構造なども解説してあり面白い。
中には船から見たパナマ運河の通過時の映像や映画上映などもあり楽しめる。



街中にあふれるたくさんの輸入品。
それからもわかる事ではあるがここへ来てさらにこの国におけるパナマ運河の重要さを知った。

利権もアメリカから返還されたと言うこともあり、
この国はますますその恩恵を受けることになるだろう。
パナマの未来は総じて明るいように思える。

が、豊かさの裏には貧しさも生まれてしまうことを僕はもう知っている。

発展する経済に引き寄せられるように人は集まる。
もちろん元々その利権を持っていた人々はそれを手放すわけもなく、
集まった異国の者たちはスラムを形成し治安の悪化を引き起こす。

その吸引力を上手に利用すれば、
もちろん貴重な労働力の確保に繋がるのだが、
多くの国はそうなる事無く供給過剰に陥り貧しさを生んでしまうのだ。

富が生み出す貧しさ。
なんとも皮肉なことではあるが、それが世界の現実だった。

世界を旅する前は日本ももっと外国人労働者を受け入れればいいのに。
そう、単純に思っていたのだが今では少し考えざるを得ない。

もちろん全ての犯罪を外国人労働者のせいにするほどナンセンスではないが、
不法滞在という形での労働は多く存在するだろうし、
それが貧しさにつながり犯罪を引き起こすケースは容易に想像できる。

一億総中流と呼ばれ確かに大金持ちは生まれない日本の社会だが、
それでも他の国に比べれば十分僕らは豊かなのだ。
そして世界には貧しい人々はいくらでもいる。

常識が異なる世界の人々を受け入れるにはそれなりの努力が要る。
単なる労働力と思っていては必ずその受け入れは失敗するだろう。
イタリアやフランスで働く不法滞在の人々なんかを見ていると、とても複雑なものだと思い知らされるのであった。


何はともあれパナマはきっと豊かになる。
昨日見た大型ショッピングモールなどその象徴かもしれない。
一方では1ドルのTシャツを買う人々もいると言うことだ。
それがパナマの抱える大きな問題であることは確かだ。


パナマ運河を離れ町へと戻り商店町を歩いてみる。

初日に訪れたこの場所は少し危ない雰囲気を感じたが、
今見ると慣れてしまったのかそれほどの危なっかしさは感じない。

相変わらず安すぎるほどの洋服が並び客引きの声が飛ぶ。

のどが渇いたので寄った小さな商店は中国人が経営するお店で、
そういえばこの辺りでは殆どが中国人経営の商店なのであった。

そんな店の中でゆっくりコーラを飲んでいると、
明らかに貧しそうな男がふらりとやってきて1つのパンを買っていく。

「おい、チーノ。パン1つな」

執拗なほどにチーノと声を張り上げるその男は上機嫌で店を出て行った。

こぎれいな格好をした中国人の店員とその男の姿を見比べれば、
どちらが裕福なのかは一目でわかるものだったが男は確実に中国人を見下していた。

南米、中米。
どちらにいても東洋人差別という意味をこめたチーノという言葉は良く聞くものだ。
もちろん日本人との区別などができない現地の人は僕の事を平気でチーノと呼び捨てる。
たまに向こうは親しみを込めた意味でその言葉を連呼するので中々性質が悪い。

最初はイラっとしたものの最近では気にもしなくなっていたが、
実際に中国人が馬鹿にされている姿を見るのはなんだかとても嫌なものだ。

人は自らの下を求める生き物なのかもしれない。

社会の中で貧しく虐げられた人々は、
中国人という差別の対象を作ることによって自らを最下層ではないと思いたいのだろう。
なんだか人という生き物のむなしさを感じる出来事だった。


宿に戻り荷物を受け取りバスターミナルへとタクシーで向かった。

夜のバスターミナルは相変わらず人で溢れていて10時過ぎにも関わらず、
大きな荷物を抱えた人々がひっきりなしにバスへと吸い込まれていく。

バス会社のカウンターでチェックインを済ませ、11時発のバスを待った。
そのバスに乗って明日は次の国、コスタリカを目指す。
急ぎ足の中米の旅がやっと動き出した。

コスタリカ行きのバスの中は、黒人や白人も多く混じり多種多様な人種が入り混じっている。
これが次の国の姿か。そう思うとまだ辿りついてもいないコスタリカに少しわくわくした。


11時ちょうど。
コスタリカ、サンホセに向けバスは走り出した。

真っ暗闇の中、走り出したバスは見ることのなかったパナマの土地を快調なスピードで走っていった。

2009年7月9日木曜日

世界一周(46)パナマ/ショッピングモール







DATE:2009/07/09 Panama - Panama City -


現在地。パナマシティのバスターミナルの中。

見上げると黒く染まった雲が見え、
しばしターミナルの駐車場でその格好のまま空を見上げた後、
結局今日のパナマ運河見学をやめにする事にした。


折角なのでバスターミナルに併設されたショッピングモールを見て回ると、
思ったよりも大規模な店でガラス張りの店内をウィンドーショッピングするのは、
暇つぶしとしてももってこいの内容でもあった。

昨日見た旧市街の商店街と比べると雲泥の差の店構え。
値段だって1ドルTシャツを見てしまった今となっては、
20ドルのTシャツはかなりのぼったくりに見えてくる。

それだけの価格差が存在しながらも、
こういうショッピングモールがビジネスとして成り立つということは、
この国にはそれだけの格差もまた存在しているという事だった。

ショッピングモールは盛況を博しており、
身動きが取れない程度、とまではいかないがそれでも十分な来客がある。
ここに訪れる人々の身なりはやはり小奇麗で裕福そうな様子。
アイスクリームなんかを食べながらの楽しそうな親子連れが目立つ。

店舗内の店についてはさして面白い発見はなかったが、
パナマシティーの町の格差を感じることのできる場所ではあった。


バスターミナルで明日のコスタリカ行きのチケットを買って宿に戻った。

明日はパナマ運河の観光を済ませたあと、
コスタリカ行きの夜行バスに乗り、首都サンホセへと向かう。

コスタリカからはメキシコまで一気に通過する予定だ。
1ヶ月弱の期間で中米を通り過ぎてしまうのはもったいなかったが、
9月頭の帰国リミットを考えると、そう悠長にはしていられれない事情もある。


昨日、買っておいた材料でサラダを作りワインとそれを飲み干した。
久々のオーストラリアワイン。旅の始めに出会ったワイン。
なんだかそれがパナマという地にふさわしいような気がしてそれを選んだ。

船乗りもまた旅人と考えれば、
ここは世界で最も旅人の集まる場所なのかもしれない。


それでは世界に向けて。乾杯!!

2009年7月8日水曜日

世界一周(46)パナマ/世界が行き交う地















DATE:2009/07/08 Panama - Panama City -


中米に入りパナマ一日目。
ざわめく空港の中、目を覚ました時には既に朝日は昇り7時をまわっていた。

中米に入った、そんな実感を感じさせるものは特にない。
乗り込んだバスの人の中に黒人が多く混じるようになったぐらいかもしれない。
それでもなぜか僕はバスの中、妙な高揚感のようなものを感じ始めていた。

それはやはりパナマという新しい国へとついたということでもあったし、
中米という新たな世界へと入り込んだという事でもあったのだが、
恐らくはその到達したという事実が旅のカウントダウンが始まったという現実を示していて、
それがまた旅というものに妙な刺激を与えているような気がした。


中米パナマ。この地から始まり北上を続ければ終にはアメリカへとたどり着く。
そしてそれが僕の旅の終着点であった。

それはまだ1ヶ月以上も先の話でもあったが、
アメリカへと陸続きで続くこの国が妙な現実感をもたらしていた。
終わりに向かう北上。それが今始まったのだった。


パナマの街中を走る路線バスはチキンバスと呼ばれ、
それはその名の通りブレーキの存在など忘れたように走る暴走車。
市民はでこぼこ道を跳ねるように走るチキンバスのなか、
硬いパイプ椅子のような席に座り上下に飛び跳ねながら各々の目的地へと向かっていく。

そんなチキンバスに乗りながら空港を抜け市外を目指した。
空港を出たばかりのころはのんびりとした風景だったそれが、少しずつ街の風景に変わっていく。
乗車する市民もまた様々で買い物帰りのおばちゃんや仕事中のサラリーマンもいる。


田舎の景色だった車窓の風景は工場が混じり商店が混じり、
ついには高層ビルの姿が混ざり、最後はビルが乱立する大都市の姿へと変貌した。

パナマの首都パナマシティーは驚くほどの大都市だった。

南米も北部から来た僕には高層ビルの群れは久しぶりで、
なんだか東京へ戻ってきたような感覚が少しうれしくなる。

それに不安だった治安の問題もビルが立ち並ぶ新市街にいる限りはそれほど留意する必要もなさそうだ。
それは南米でちょっとばかり気疲れしていた僕にとっては、
何にとってもうれしい事でもあった。


宿にチェックインした後は昼食でも作ろうかと近所のスーパーへと向かう。
近くの食堂で食べても良かったがスーパーまわりはある意味で旅で最も楽しい事でもあったし、
その国の物価を実感するのに便利な場所でもあったので最初に行ってみることにしたのだ。

パナマの大型スーパー。
実のところ、これほどパナマという国を良く表している場所はなかったように思える。

パナマという国に多くの情報があったわけではないが、
それでも僅かながらの知識でこの国が貿易の中継点として栄えてきたという事は知っている。
パナマ運河という重要な運河を持つこの国。
そんな知識がなくともスーパーに行けばその事実がすぐにわかる。

酒、日用品、その他果物などなどなど。

その全てが他の国に比べて圧倒的に安いのだ。
特に顕著なのがアルコール類でずらりと並んだワインやウィスキーのボトルが、
輸出国で買う値段とそう変わらない値段で並べられている。

例えばアルゼンチンで良く飲んだトラピチェのワイン。
アルゼンチンで買えば6ドルほどの値段だが、
コロンビアでは15ドル近くもした。
だがここパナマシティーでは8ドル程の値段で買うことができる。

距離的に考えればコロンビアの方が近いのだが、
それでもまだパナマの方が圧倒的に安いのだ。

この事実はパナマに入ってくる輸入品への関税の低さ、
そしてその運搬コストの低さを表していた。

またそこに並べられたワインの生産国もまた様々だ。
オーストラリアからフランス、スペイン、カルフォルニア。
世界のワインの生産地全てがそこに揃えられている。


世界貿易が行きかう港町。
クーラーの効いた広く綺麗な大型スーパーの店内で僕はひたすらその事に驚いた。

わかり易過ぎるぐらいわかり易い世界経済の仕組みがそこにあったのだ。

世界中から集められた物で溢れ返る街。
僕はだだっぴろい店内を空腹のまま歩き回るうちにすっかりこの街が気に入っていた。
欲しい物がすぐに何でも手に入る。それでこそ都会ってもんだ。
それだからこそ僕は都会が好きなのだ。


なんだか大型スーパーの充実度にすっかり満足してしまい、
今日の夜の献立やらを考えビールやらを流し込んでいるうちにすっかり昼になってしまった。

なにせパナマは暑い。
南米も後半に入ってからアマゾンとガラパゴス以外はほぼ高地、
昼間でも冬のような気候で旅をしてきた。
ジャケットは既にコロンビアを出るときに脱いでいたが、
それでもジトッとするこの暑さには観光の勢いも殺がれるというもの。
ビールの瓶が2本ほど空になり、やっと椅子から立ち上がった時にはもう2時を回った頃だった。



一応。そう一応だがパナマシティーの旧市街の町並みは世界遺産にも登録されている。

そんな町並みを期待して行ってみるもやっぱりそこは何の変哲もない町並みで、
やっぱり最近登録された世界遺産ってなんだかね、と思わざるを得ない所。

暑さでだれた体を無理やり起動させてきた事もあって、
なかなかに残念なところではあった。

とは言え初めての街の事、外に出てみるとそれなりの発見はある。

さすがに旧市街ともなると町並みは新市街と異なり、
高層ビルの姿はなくなり古い町並みが姿を現す。

その古さの為か多くは打ち捨てられた姿か、
新しいビルを建てようと目下建設中の様子だ。
治安の良さそうな新市街と異なり旧市街はやはり少し危うさを含んだ所だ。
一歩道を外れた奥には確実に狙われる危険のある、静けさを宿している。

だからこそというか、ビジネスマンが行きかう新市街と異なり、
旧市街には活気溢れる市民の姿がある。
その誰もが小奇麗な格好をしているわけではないが、
小さな商店が軒を連ね客に向かって声を上げる姿はこの街の姿のようだ。

驚くべきはその商品の物価でどこからか古着が輸入されてきたのか、
Tシャツなんかは1ドル程度の値段で購入することもできる。
パナマの運輸ビジネスの恩恵は至るところへと注ぎ込まれているようだった。

そんな街の中面白いのは民族衣装姿の女性が少なからず混じっていることで、
後で調べてみるとクナ族というカリブ海に浮かぶサンブラス諸島の民族で、
彼女たちの纏う美しい衣装は「モラ」と呼ばれ観光客にも人気が高いそうだ。
太いもこもこの線のような刺繍は独特でなかなか面白い。

旧市街の観光地へ行くと沢山のクナ族の女性がお店を広げ、
観光客へとあまり熱心ではない様子でモラを売っている。
他にもアクセサリーなども売っており、僕はその1つを買った。

旧市街の海側からは新市街の高層ビルが見える。
色鮮やかなクナ族の女性と灰色のビルの対比がなんだか面白く、
パナマもまたいろいろなのだな、と思った。

目の前の海を右手に向かえばパナマ運河の水門へとたどり着く。
海の上にはいくつか浮かぶ船の姿があり、それがこれから運河を越えていくものなのか
それとも運河を越えてきたものなのかはわからなかったが、
なんとなく長い旅を称えたい気分になる。

目の前の太平洋からカリブ海へと続く道。

カリブ海という言葉の響きはなぜかロマンを掻き立てる。
これからメキシコに至るまで見ることがない陸の向こうに広がる海の事を少し思った。


バスに乗り新市街へと戻った。
建物を見上げることの多いこの街はやはり旧市街とはまったく違って見える。

昨日からの移動の疲れからか仮眠を取るとそのまま眠り込み、
結局朝までベッドの中でぐっすりと眠った。

今夜の為にと冷蔵庫で冷やされたワインは、
コルクの蓋を開けられることもなく待ちぼうけの冷たい一夜を過ごしていた。

2009年7月7日火曜日

世界一周(45)コロンビア/変わり行く流れの中で











DATE:2009/07/07 Colombia - Bogota -


「うるせぇ、お前がこの値段だと言ったんじゃねーか」

南米最後の日、いつものように料金でごねるタクシードライバーをねじ伏せ、
ボゴタのエアポートへとたどり着いた。

ここからバランキーヤというコロンビア北にある町を経由して、
夜9時にはついに中米パナマへと降り立つ。

南米から中米へ。

5ヶ月近くも続いた南米もついに終わりを迎えた。
当初の予定では3ヶ月程度で南米の旅は終わるはずだったが、
途中パタゴニアを経由し、アマゾンやガラパゴスへと行っているうちに、
ついには2ヶ月あまりも予定を超過していた。

が、それでも十分に満たされた気はしない。
それはどこの国でも大陸でも同じなのだが南米のその広さの為か、
さらに強くそれを感じるのだ。

ブラジルから入り、ボリビア、チリ、そしてアルゼンチンへと抜けた。
パタゴニアから戻りチリのイースター島へと渡った後は、
ボリビアからペルー、エクアドル、コロンビアと北上をした旅だった。

地図の上、通ってきた道をなぞればそれがまだ南米の半分でしかないことに愕然とする。
ブラジルの北部、そしてアルゼンチン北部、ギアナやヴェネズエラ。
そのどれもがまだ未知の土地であり、それは南米の半分を占めていた。



南米に来る前に僕がこの土地に抱いていたイメージはそう多くない。

拳銃がはびこる危険地帯。
ラテンの地を引く情熱的な人々。

言ってみればこの程度でしかなかった。


一度この土地に来ればわかるが、
南米、特に南部のアルゼンチンやチリといった国々は、
かなりの発展をした国々だということがわかる。

整備された道路にそこを走る新しい車。
お洒落な洋服を着こなす人々に、ガラス張りのきれいなレストラン。

そんな都市があちらこちらにある。
アジアと同程度と思い込んでいた僕のイメージは、大きく裏切られた。
南米という土地のイメージがすっかりと入れ替わった感じだ。

しかし北部のペルーやボリビア、エクアドル、コロンビアといった国々は、
南米とはいえアルゼンチンなどの国々とはかなりの差があるように見える。
それらの国々はある意味では僕の思い描いていた南米のイメージそのままで、
文化もまたその土地独自のものばかりだった。

逆に言うと南部の国々は西洋化された都市ばかりで、
南米にいると言うよりも出来損ないのイミテーション、
侵略したヨーロッパの人々が作り上げた偽りの母国の中にいるようだった。

歴史の中に存在するヨーロッパの街並みは美しかったが、
南米の容だけの街並みは、なんだか空虚な思いを抱かせた。
人々もまた都会人であり、ライフスタイルにも驚きを感じさせるものが少ない。
町歩きが好きな僕としては物足りなさを感じる日々だった。


それに比べて北部の街並みはインカの歴史の中にあるものや、
その土地で暮らす人々が長きに渡って作り上げた街並みも多く、
その独自さに、溜まっていた欲求不満もまた解消された。

ボリビアやペルーに生きる先住民の民族衣装姿は美しかったし、
そういった人々が当たり前に闊歩する街並みも人の生の営みを感じさせた。

ペルーでのアヤワスカ体験といった特殊な体験は元より、
彼らの生きる姿は多くのインスピレーションを与えてくれる。

また、すっかり欧米化した国々との比較もあってか、
文化を保つと言うことの価値もまたわかりやすく見えた。


だがしかし彼らの文化もまた時代と共に少しずつ変容してきてはいる。

民族衣装をまとった姿のまま携帯電話を操り、
乗り合いバスに乗っていく人々の姿を見ると、
それが10年前と比べても大きく変わっていることが良くわかる。

町には洋服を着た若者達も多くおり、
それもまた当たり前の風景となっているようだった。

こういう流れを悲しむのは単なる旅人のエゴだろう。
グローバル化と名付けられた共通化の流れは単なるファッションではなく、
「利便性」という大きなメリットの元に動いている。

誰もが望む快適に生きるという生の欲求を止める事はできない。
先住民の誰もが僕ら観光客のために民族衣装を着ているわけではないのだ。
それを簡単にお店で安く手に入れられる洋服に着替えたところで、誰が文句を言えよう。

もちろん画一化の流れは進化としては絶滅といった危険もはらんでいるが、
それは僕らが決めることではなく、彼ら自身が望むほうへと進むのだ。

10年、20年経った後、
きっと南米の国々も多くは変わってしまうだろう。
それは悲しくもあるが面白くもある。

アマゾンの奥で暮らすシャーマン一家のような人々が、
何十年の後にどんな暮らしをしているのかは、ある意味で楽しみのひとつでもあった。



人も変われば、自然もまた変わるだろう。

南米大陸の最も大きな魅力は自然であった。
パタゴニアの大地に、アマゾン、そしてガラパゴスの島々。
南米の多くの思い出はこの自然の中にある。

青い光を放つ氷河。
世界を飲み込むような音を立てて流れ落ちるイグアスの滝。
島中の至るところに生息するガラパゴスの動物たち。

そのどれもが他の国や大陸にはない、南米唯一の見所だった。

町から町への陸路の移動だってまた、
砂漠や美しい山々が続く自然の美しさに溢れている。

そんな南米の美しい自然の数々が、
「南米」という言葉のイメージにしっかりと結びついている。



しかしそれもまた失われつつあるモノのひとつだった。

氷河も温暖化により溶け始め、
ガラパゴスの動物たちもまた種を減らし続けている。
人の手で薙ぎ倒されて禿山になった山もいくつも見てきた。
排気ガスで覆われたサンティアゴの町。
飛行機の中から見た茶色い濁った空気は大きな衝撃だった。

多くの理由は人の手によるもの。

それは人が地球という星における強者であるという一つの現れだったが、
また無知でもあるという証拠でもあった。

100年後、いや10年後だって同じ自然が残っているとは言い切れない。
それが僕らの目指す進化の方向だとしたら、
間違っているかはわからないが、僕は単に勿体無いと思う。

僕らはあの青い炎を纏う氷河を作り出すことはできない。

そして僕はあの美しい姿をもう一度見てみたい。
だからそれを壊す行為は全て忌むべきものでもある。
それは単純に個人的な理由からの思いであり、決して自然の為ではない。

でもそれが生き物としての正しい姿なようにも思える。

ただ己の利の為に。
偽善など要らない。
我が為に僕は全てを守るとしよう。



僕らが生きるこの世界は1つ。

地球のプールの中に浮かぶ沢山の資源。
それを分かち合い、生きているのが僕たちだ。

人も動物も植物も土も空もまた。
僕らは1つの中から生まれ育ったのだ。

1つである以上、何かが減れば何かが増える。
その理からは逃れることができない。
得ることは失うことでもあるのだ。


僕らが奪った誰かの笑い声は、いつかきっと自らの泣き声へと変わるだろう。

君が見せたはにかんだ笑顔は、きっと誰かを幸せへと導くだろう。

そのどちらもまた人の営みの中にある日常だ。



南米の偉大なる大地。

豊かだからこそ、失いゆくその姿がくっきりと浮かんで見えた。

人もまた、自然もまた。

失うというのは間違った表現かもしれない。全ては変わっていくのだ。
僕はただその変化の中にいただけだ。

憂う必要などない。ただ流れるだけだ。





中継地バランキーヤまでのフライトを終えたどり着いた僕を、
親切な係員が誘導してくれ無事にコロンビア出国の準備が整った。


そうだ、沢山の人にも会ったんだ。

南米の姿を思い出していた僕はそのこともまた思い出した。


ブラジルでのマリさんとアキラとの出会い。
ボリビアで笑いかけてくれたボロボロの服をまとった子供たち。
チリのイースター島で会った明るいラパヌイの人々。
アルゼンチンのバリローチェで出会った若者たち。
エクアドルのカレー屋で働く。
コロンビアでの友との再会。
そしてペルーのアマゾンで暮らす澄んだ笑顔の村人のみんな。

数え切れない程の人に毎日出会い、沢山の笑顔をもらった。
ケセラセラのラティーノ達はいい加減だけれども、そのアバウトさが気持ちよくもあった。

そうだ人が明日を作るのだ。
なにも憂いにまみれただけの世界なんてことはないさ。


そんなわけで南米編はこれにてお開き。


仲良くなった空港スタッフに手を振ってパナマ行きのプロペラ機へと乗り込んだ。
20人も乗れない小さな飛行機は意外にも軽快に夜空へと旅立った。

去りゆく南米の町が街の明かりで満ちている。
海岸線を縁取るようにラインを引いた光が南米の境界線を越えたことを告げていた。

もう僕はカリブ海の上にいる。
月明かりが海へと満ち、反射した光がきらきらと瞬く。
カリブ海に浮かぶ船の船影が小さく影になり静かに揺れていた。


2時間も飛んだ頃だろうか。
また目の前に光の境界線が見えてきた。

カリブ海を渡り中米パナマへ。
旅の終着点にまた一歩近づいた。

眩いばかりの光をまとった漆黒の大地は月明かりを照らすことなく人口の光に揺れていた。
揺らめく海の月光と街の直線的な街灯のコントラストがひどくクッキリと窓の外に浮かんで見えた。
いつの間にか陸を跨いでいたのだろうかその海はもう太平洋のはずであった。

プロペラ機は何度か空中で旋回をし、終には光の中へと飛び込んでいった。

小さな機体にも関わらず安定したソフトランディングを終えた飛行機から一歩外へ踏み出すと、
それが僕の中米の始めての一歩となった。


じわりと吹き出る汗がまた別の異国へとたどり着いた事を示している。

さぁて中米編いきますか。

真夜中の空港を一息入れて歩き始めた。

2009年7月6日月曜日

世界一周(45)コロンビア/貧しさの違い



















DATE:2009/07/06 Colombia - Bogota -


すでに明日のパナマ行きのチケットは確保した。

これで南米の旅が終わるのだ。

今日が正真正銘南米最後の一日だった。


ボゴタの町には特にもう見所はなかったが、
せっかく最後なのでもう一度ふらりと町を歩いてみることにした。

町歩きの前にふらりと寄った中華料理屋。

そういえば南米も北のほうへ来れば来るほど中華料理屋の看板が目立つようになる。
面白いのが国ごとに呼び方が違うことで、
ペルーで「CHIFA」だったそれが単なる「CHINA」になり、
チャーハンの名前もペルーでは「CHAFAN」、
エクアドルでは「CHARAFAN」、
そしてコロンビアでは「オリエンタルライス」へと変わっている。

世界中どこにでも中国人はいるというが本当にその通りだ。
どこにでも住み、そして混ざらずに暮らす。そんな中国人の姿がなんだか面白い。


そんな中華料理屋でのできごとだ。

久しぶりにチャーハンを頼むと食べ切れそうもないほどの量で大皿に盛られてチャーハンは現れた。
少し塩分が濃いがそれでもやはりおいしくどんどんと箸が進んでいく。

そんな中、ふらりと現れた不審な浮浪者らしき人の姿。

何やら店の入り口付近で何かを漁ってから、ぺたりと店の前に座り込んだ。
そんな人が後から後から何人もやってくる。
結局総勢3名の浮浪者が見せの前で屯すようになる。

店の人もいつもの事なのか店の中に入ってこない限りは特に何も言うこともない。
営業妨害にもなりかねないが、お客も別に気にすることなく、
入れ替わり立ち代りどんどん店の中へ入ってくる。

南米含め浮浪者の姿は多く見るものの、こういう人たちは初めてで
何をするのか、何のためにここにいるのかに興味を持った。

店からあまりモノでも貰っているのだろうか。

そんな事を考えながらチャーハンを食べたが、
さすがに日本では3人前近くありそうな量は食べきれず少し残して席を立った。


その時だ、その浮浪者の一人がおもむろに店へと侵入し、
あっという間に手に持ったビニール袋の中に残飯を入れてしまったのだ。


南米のどこでも、むしろ世界のどこでだって見たことのない姿に僕は驚いた。

中華料理という量の多い料理だからだろうか自然とこの店に彼らは集まっているようだった。
もちろん捨ててしまうのに比べればましと言えばましなのだが、
それでも彼らの貧しさは否応なく誰もの目に焼きつくことになる。
まるで外に溢れる野良犬のような姿。

そんな彼らの姿にただ最初は驚くばかりだったが、
食べるに困って強盗へと変わるよりは幾らかまともな行動なのかもしれない、
そう思って今の出来事を頭の中で消化した。

そう言えばこれは日本でも起きている。
コンビニやファミレスの残飯で生きている浮浪者は何人もいる。
要らないものが誰かの生きる糧となるならばそれはそれで良いことだろう。

しかし貧しさというものを目に見えて実感したひと時でもあった。



貧しさというのは世界中どこにでもある。

それは日本のマスコミが持て囃す「格差」なんて言葉とは格段に違う、
食べることもままならない本当の貧しさだ。

日本の格差は単に能力の違いによる所得差を現しているに過ぎないし、
それは元々当然にあるものをマスコミが言葉にしただけだ。

本当の貧しさは違う。身に染み付いた逃れられない呪縛のような姿をしている。


ただしかしその貧しさにも南米とアジアでは違いがあるように思える。

例えばインドネシアやインド、もちろんその他の国にも貧しさはあるが、
何となくその貧しさを受け入れて生きている人が多いように思える。

彼らにとって貧しいという状態は普通なのであり、
何か特別に恥じることでもないような、そんな達観があるような気がする。

カメラの先に写った貧しい彼らの笑顔は本物で、
ただ毎日を精一杯生きているそういう笑顔だった。


だが南米の貧しさは何故か哀しく目に映る。

社会の最下層で生きる自分たちという立場に絶望した、
淀んだ救いのない目をした人たちがいる。

カメラを向けることのできない姿。
もしカメラを向けた場合の彼らの反応は一様で、
馬鹿にされたように怒り憤る。
まるで自分たちの姿を恥じるように。



この違いは何なのだろうか。

元とする文化の違い。
例えば仏教とキリスト教の違い。

元とする血の違い。
例えばモンゴロイドとコーカソイドの違い。

それとも「格差」の深さなのか。
奴隷という文化を持った南米と、
その文化を持たないアジアの違い。


きっと簡単には現せない違いがあるのだろうが、
僕にはそれが何なのかはまだわからない。

それでも南米の貧しさに根付く希望のない眼差しは、
暗く深く沈んでいる。




南米最後の夜。

南米一番の収穫とも言っていいアルゼンチンワインを買い、
分厚いステーキ肉と共にそれを飲み干した。

今日もまた音のない静かな夜だった。
騒がしかったラテンの夜は、静かに幕を下ろしていった。