2009年3月26日木曜日

世界一周(40)チリ/ぐーたら再び







DATE:2009/03/26 Chile - Valparaiso -


朝のバスに乗ってメンドーサに行っても良かったが、
結局目的地に到着するのは夜になるため、
今夜の夜行バスに乗ってメンドーサへ行くことにした。

そんなわけで今日もまたぐーたらな一日が始まる。


チェックアウトを済ませて荷物を預けると、
特にやることもなくなってしまったので、
またもや宿のロービーで日記や写真の整理に明け暮れる。

宿の女将さんやなんかと写真を見て遊んだり、
旅の予定を考えていたりすると、
なにやら宿が騒がしくなりいきなり工事が始まった。


何をしているの?と聞くと、
インターネットの接続工事をしているのだそう。

なぜ、チェックアウト後にと思うも、
パソコンでWifiの接続テストをしたりと僕も協力し、
めでたくもResidencial Veracrusの第一ユーザーとなったのであった。


その後もご飯を食べに行ったり、
またもやガイドブックを読んだりと、
特に生産的なことは何もしていない。

そんなこんなで遊んでいるとあっという間に8時になり、
アルゼンチン行きのバスはバルパライソを出発したのであった。


ここからアルゼンチンを南下し、
さらにチリのチロエ島へと戻り、
そこからパイネ国立公園までのフェリーに乗るつもりだ。

アルゼンチンとチリを行ったり来たりの、
スタンプばかりの旅になりそうだが、
こればかりは国境線上に見所があるこの地理ではしかたない。


バルパライソを出発したバスは、
ロス・アンデスという聞いたこともない場所で止まり、
荷物と共に放り出された。
あの何でも書いてあるロンリープラネットでさえも記載がない町だ。

ともかくここでバスを乗り継がなくてはならないらしい。

バルパライソのチケット売り場のおばちゃんの言葉を信じ、
近くの人に聞いてみると、それはどうやら正しいらしく、
「ここでまて」とジェスチャーで教えてくれた。

そのまましばらく待っていると別の人が出てきて、
僕が持っているバス会社のスタッフだと言う。
なにやら説明しているようだが、
僕の車を持ってくる。とよくわからないことを言っている。

どういうこと?と思っていると、
彼はおんぼろの自家用車に乗ってきて、
「さぁ、別のターミナルへ行くぞ」と僕と荷物を詰め込んだ。

僕を乗せたその自家用車は、
ロス・アンデスの町を疾走する。

最初は、何か詐欺やなにかかといぶかしんだが、
どうやらそれはただの親切だったらしく、
ラジオを聴きながらのドライブを楽しんだ。

彼の言うとおり、
バス会社のバスターミナルへ着くと、
彼はそのまま「チャオ」と言って職場へと戻っていった。


チリ人ってのは陽気で都会的で、
なんだかとても気持ちいい人たちだ。

今日出てしまうこの国を僕はやっと気に入り始めている。

アルゼンチン行きのバスは写真とは別のおんぼろバスだったが、
まぁ、その辺はご愛嬌というやつだろう。

ともあれアルゼンチン行きのバスは走り出し、
険しい山道の中をぐねぐねと国境線に向かって走り出した。


真っ暗闇の山道を通り抜け、
眠気眼でスタンプを押すと次の国、アルゼンチン。


また新しい国での出会いが始まった。

2009年3月25日水曜日

世界一周(40)チリ/今日もまたぐーたらな







DATE:2009/03/25 Chile - Valparaiso -


朝、6時に目覚まし時計が鳴った。

・・・眠い。


久しぶりに葛藤がおきる。
今日行くべきか、ぐーたらな一日を送るべきか。

8時のバスに乗りアルゼンチンのメンドーサへ向かう。
昨日はそう決めて眠りについた。

せっかく盛り上がってきた旅気分だ。
行ってしまうのが正解のようにみえた。

つい先日も休んだじゃないか。

そう思いベッドの上でもがくも、
一向に体はベッドを出る気配がない。


・・・やーめた。


そうして僕はまたベッドの中で深い眠りについたのであった。



目を覚ましたのは10時過ぎだった。

宿の人にあれ?出発はと言われるも、
バスを逃したからマニャーナね、と言って延泊を申し込んだ。


リオのカーニバルまでは、
時間制限のある旅立ったため、
さくさくと進むことに目的があった。

なのでそれまでは高速バックパッカーだったが、
なんだかそれ以降はずいぶんとのんびりしているようにも思える。

それもまた旅としては面白いのだけれど、
なぜか後ろめたい気分になってしまうのはどうしてだろう。

そーいや仕事してたときも遅刻ばっかりしてたっけ。

あんまり変わってない自分を思い出す。
目的がなければ人間などぐーたらな方向へ流れていくのだ。

ま、それも悪くないか。

そう思い直し今日のぐーたらな一日を楽しむことにした。



朝から昼間では曇り。
午後3時ごろからやっと晴れ間が射す。

どうやらこれがバルパライソのパターンらしく、
今日もまた朝はどんよりとした曇り空だった。

と言うわけで朝からはのんびり日記を書いたり、
映画を見たりして過ごした。

晴れ間が射してきたからは町を少し散歩し、
パスタを作ろうと食材を物色して帰った。


何も特別じゃない一日が今日も終わろうとしている。

さて、明日は。そう思って今日もまたワインを飲んだ。

2009年3月24日火曜日

世界一周(40)チリ/その雲が晴れれば











DATE:2009/03/24 Chile - Valparaiso -


バルパライソの町は曇り空に覆われていた。

あまり乗り気はしなかったが、
予定をこなそうとビーニャという隣町のビーチへと行ってみた。


曇り空のビーチ。
しかも肌寒ささえ感じる秋の始まり。

そんなものが面白いわけもなく、
ビーニャの町を2時間も歩いた頃にはやることもなくなり、
仕方なく寒空のビーチへと腰を下ろした。


やはり気分がまだ晴れない。

なぜ旅をしているのだろう。
なぜ旅を続けなくてはならないのだろう。

そんな事を考えた。


僕がこの旅で失った幾つものことを数えた。

28歳という時間。
何百万というお金。
一流会社の肩書き。
大好きだった女の子。

そんな事を考えると
取り返しのつかないことをしてしまったかのように思えた。

後悔などする気はないが、
それでもいま、この場所にいる理由が見つからなかった。

旅を終える。

それを真剣に考えた。
なんてことはない。チケットは手元にあるのだ。
全ての飛行機に乗れば日本に辿り着く。


ただ寂しいだけなのかもしれない。
そうも思った。

日本にいるときは自分にそんな感情があるなど思いもしなかったが、
どうやら人間としての機能はきちんと動作しているらしく、
旅に出てから時たま、寂しさという感情を覚えることがあった。

それは誰か好きな人がそばにいないから、というだけなのかも知れない。
今までそばにいてくれた誰かは、今ここにはいない。

誰かと話がしたかった。
くだらない話を延々と出来る誰かが欲しかった。



海岸を見るとなぜかハトがカモメと混じって、
何もなさそうな波打ち際にくちばしを忙しなく突き立てていた。
僕には見えない何かを必死についばんでいた。

そう言えば同じ事を昔、旅の初めにオーストラリアで思っていた。

僕が見えない何か。彼らには見える何か。



いつの間にか犬が来て、
しばらく僕のそばにいてまたどこかへ行ってしまった。
犬もまた別れを告げる。それがなんだか笑えてきた。




さて。旅を続けるか。



なぜかそういう気分になっていた。

そもそもウジウジ悩む事になんて慣れていないのだ。
それさえも2日も続ければ飽きてしまうということだろう。
自分のそのお気楽な性格を愛しむことにした。


立ち上がり砂を払うと、
雲間から光が差しているのが見えた。

その雲間はあっという間に広がって、
空に青い絵の具をぶちまけた。


僕はその青空の中を歩いた。

すっかり心は晴れていた。
きっと太陽のせいだ。そう思った。
僕の心はそんなに複雑にはできていない。
太陽仕掛けの狂ったハートはお日様と共に正常に動き出したのだった。



ビーニャから戻りバルパライソに着くと、
時間もあったのでまたもう一度、坂道を登ってみることにした。


なんだ綺麗な町じゃないか。


心からそう思った。

坂道を一つ登ればまた別の景色が広がっている。
くねくねと幾つもに分かれる坂道や階段。
それを一つ一つ選びながら進むのは冒険に近い。
進む度に新たな発見があり、
それが面白くて僕は目的もなく、
山の上を登ったり降りたりして楽しんだ。


昨日は気づかなかったこの町の楽しさが今日は良くわかる。

きちんと目を開いてなければ、
どんなところに行っても意味はないということか。

旅というのはそういうものなのだ。

旅人の数だけ別の思い出が作られる。
それが旅ってやつなのだ。


帰り道、市場に寄って沢山のハマグリを買った。
今日はこれで白ワイン蒸しを作ろう。

そうやって僕の心は旅の中に戻っていった。

2009年3月23日月曜日

世界一周(40)チリ/バルパライソの憂鬱











DATE:2009/03/23 Chile - Valparaiso -


今日はサンティアゴを離れて、
近くの世界遺産の町バルパライソへ移動することにした。

サンティアゴから車で約2時間の場所。
日帰り旅行でも良かったが、
なんとなく気分を変えてみたくなったのだ。


バックパックに荷物を詰め込んで、
バルパライソ行きのバスへと乗り込んだ。

サンティアゴの町は相変わらずスモッグに覆われている。

またこの場所へ来るのは1ヶ月後ぐらいだろうか。
このままチリを南下しパタゴニアの世界へ。
そしてアルゼンチンのブエノスアイレスからまたサンティアゴへ戻ってくる。

ウユニ塩湖に無理やり行ってしまったため、
なんだかグチャグチャなルートになってしまったが仕方がない。
南米をぐるぐると無鉄砲に回るのも悪くはない。


バルパライソへ着くと町は曇り空。
サンティアゴから比べると長袖のシャツが必要なほど肌寒い。

バスターミナル近くの宿に身を落ち着かせると、
しばしゆっくりして晴れ間がさしてきた町へと繰り出した。


この町は世界遺産に登録されていると言うが、
それほど特別な町には思えなかった。

確かに小高い山に囲まれた盆地で、
その山肌にびっしりと家が立ち並んでいる様は特別ではあるが、
それだけの町ならば今までいくつも見てきた。
ヨルダンのアンマンやスペインのグラナダ。
そのどちらも世界遺産ではないが、
この町との違いは大差ない。

それよりもこの町もまたスモッグで多いつくされていて、
世界遺産の町並みなのに灰色の絵の具をかぶったように見える。
それが何よりも残念なことだった。


なんだかよくわからない町の探索だがそれなりには面白い。

久しぶりの太平洋を間近で見ながら
遠くに見えるタンカーや軍用艦を眺める。

潮の匂いがした。
大して久しぶりはないはずなのに、
なぜだか懐かしさを感じてしまう。

前に嗅いだのはいつの頃だっただろう。
ブラジルの海岸のはずだから1ヶ月も前の話だ。

南米に来て1ヶ月が経っていた。
なんだかあっという間だった気がする。
移動に費やす時間が多いからか、
それほどの町を歩いたという気はしないが、
それでも1ヶ月経ってしまったという事実があった。


町を歩いているとたくさんの路上アートが目に付いた。
そのレベルが非常に高くまるで美術館にでも来ているようだ。
いつの間にか夢中になりその辺りの路地をくまなく回っているうちに、
お気に入りのアーティストまで出来てしまったほどだ。

そう言えばグラナダもこんな町だった。
大好きな町を思い出し、
何の変哲もないと感じていたこの町が少し好きになった。


日が暮れ始めていたがせっかくなので、
坂を登り山の中腹まで行ってみることにした。

見た目通りの急な山の腹には、
張り巡らされるように坂や階段が張り付いている。
まるで植物の根のような人の営みがそこにあった。

その内の一つの階段を登ると、
一軒のミュージアムへとたどり着き、
その場所からの眺めに一息ついてのんびりと考え事をした。

高台から眺める景色はさすがに世界遺産で、
教会の時計台やうねるように走る道路が真下に広がり、
さらにその奥には港に並ぶ船が、
そして最後には太平洋が広がっている。
登ってから気づいたが高台にはロープウェイが張られていて、
そこかしこで50メートルにも満たない短いロープウェイが動いていた。

しかしながらやはり町はスモッグに覆われていて、
その灰色の絵の具はなぜか心をどんよりさせた。


なんだか最近、旅をすることに面白さを感じていない。

以前ならば新しい町に着けば、
そんなことは一気に吹っ飛んでいったのに、
なぜかここ最近はただ惰性で旅をしているような気分になる。

決められたルートをなぞるだけの旅。
なんだかそういう感覚に捕らわれた。


旅に飽きてきたのかもな。そんな事を考える。

自分の性格からいって、
1年も続ければたいていの事は飽きてしまうのだ。
旅だってその例外ではない。

このまま惰性で旅を続ける意味はあるのか。
そんな疑問が頭の中によぎった。

もちろんまだ行きたい場所はある。
アマゾンにパタゴニアの氷河。
ニューヨークにジャマイカ。

ただ、そんな夢の場所へ行くことさえも億劫になっている。

なぜかどうしようもない倦怠感が僕を襲っていた。



山を降りて宿に戻り、
気分を変えようと今日は自炊をすることにした。

久しぶりのキッチン。腕が鳴る。

とは言ってもそう長居をするつもりはないので、
南米らしく大きなステーキ肉と、
味付け用にキッコーマンの醤油を買い込んで、
ご飯を炊いて赤ワインと共にステーキを胃袋の中に押し込んだ。


明日になれば。

何かが変わるかもしれない。

何はともあれ旅はまだ続くのだ。
こんなところで萎れている場合ではない。


明日になれば。明日になれば。


そう思いチリワインを飲み干した。


旅に疲れた旅人は何をすれば良いのだろう。
旅を辞めれば良いのだろうか。
そしたら旅人は何者になるというのだろう。


終わることのない無限ループが僕の頭の中に渦巻いていた。

2009年3月22日日曜日

世界一周(40)チリ/「Soy JAPONES」











DATE:2009/03/22 Chile - Santiago -


高台から見下ろすとサンティアゴがやはり大都市であることがわかる。

遠くアンデスの麓まで続くビルの群れ。
そこを縦横無尽に走る道路が切り裂いたように空間を作っている。


しかしやはり交通量の少ない日曜だというのに、
町を覆うスモッグは灰色に空を染め、
アンデスの山々を覆い隠していた。


今日は朝から山登り。そう決めていた。
サンティアゴを一望できる2つのスポットを回るのだ。

サンタルシアの丘とサン・クリストバルの丘。

二つも登ってどうすんの。という気もするが、
それ以外に観光スポットもないサンティアゴ。
山があったら登るのだ、が合言葉だ。


まずはサンタルシアの丘を登るため、
徒歩でそこを目指す。

日曜日の街はひっそりと息を潜め、
人通りもまばらである。
ことごとくシャッターの閉まった通りは、
出勤前の銀座の町を思い出し、少し感傷に浸った。


サンタルシアの丘は市内の中心にある小高い丘で、
それほど高い丘ではないが中には教会が立てられ、
ビルの屋上から眺めるように市内を一望できる。

登ってみるとすでに視線よりも高いビルも建ち、
きっとこのあたりの景色は10年前と比べて
すっかり変わってしまったのだろうと思った。

それでも日曜日だからかのんびりと散歩する人たちが沢山いて、
家族連れが子供と遊んでいたり、
老夫婦がベンチに座り日光浴なんかをしていたりする。
市民の憩いの場としては十分な役割をしているらしく、
きらきらと輝く芝生の上は休日を楽しむ人で溢れていた。



そこからサン・クリストバルの丘を目指すのは少し一苦労だ。

なんらかバスでも乗ればすぐに付くのだろうが、
何の情報もない僕はただひたすら丘の方向を目指して歩く。

サン・クリストバルの丘はサンティアゴで最も高い丘で、
歩いていればその姿はすぐに見つかる。
サンティアゴの道自体も殆どがまっすぐ縦横に走っているため、
方向だけわかれば後はそれを目指して進むだけである。

丘の付近まで来るとさすがに観光客向けのレストランなどは開いているらしく、
久々に活気のある通りに出た。

歩いていると小腹が空いてきたので、
一軒のサンドイッチ屋さんでピザを一切れ食べた。

サンティアゴにはあちこちにこのサンドイッチ屋があり、
ホットドッグやら焼肉を挟んだスペシャルサンドイッチなどを売っている。

このサンドイッチ屋と、
ステーキなどを扱うレストランの2種類がチリの主な外食だ。
夕方になるとこのサンドイッチ屋でホットドッグをパクつく学生やサラリーマンを良く見かける。
ホットドッグにはアボガドを潰したソースがかけられるのがチリの特徴だろう。
アボガドにマヨネーズに刻んだトマト。それに各々ケチャップやマスタードをかけて食べる。
単なるジャンクフードだが、これはこれで結構おいしい。


丘の麓までたどり着くと、
ケーブルカー乗り場があり殆どの観光客はそれにのって一息に丘を登る。

僕は少し迷ったがバックパッカーであったことを思い出し、
その丘を自分の足で登ることにした。

ハイキングコースのようなその道を、
地元民だろうか家族連れがけっこう歩いている。
確かにそれほど急ではない坂道は散歩には最適かもしれない。
ぽかぽか陽気の道を少し汗をかきながら登った。

登っていると自転車で登るチャレンジャーにも出くわす。
なんだか自転車から降りて登ったほうが早いんじゃないか、
なんてことを思うがそれでは意味がないらしく、
相当の汗をかきながら頂上まで立ち漕ぎで登っていく。
頂上で出会った彼らは汗だくで、
さらにその自転車を担いで階段を登っていった。


30分ほど登ると丘のてっぺんへと辿りついた。

さすがサンティアゴで一番高い丘だけあって、
先ほどのサンタルシアの丘とは比べ物にならないほど遠くまで見渡せる。

なるほどサンティアゴはやはり大都会である。
遠くまで数階建てのビルがいくつも立ち並んでいる。

ここから見る景色はヨーロッパよりも東京に近いかもしれない。

石造りの西洋風の建物よりも、
近代的なコンクリートの建物が目立つ。

先日町を歩いて銀座のようなと感じたのは、
その西洋風の建物とコンクリート造りの近代ビルが並存する様から感じたのかもしれない。


丘の上から遠くまで見渡すと、
やはりこの街がスモッグに覆われたくぐもった街だということがわかる。

遠くに見えるアンデスの山々も、
その輪郭だけがうっすらと見え残りは灰色の空気に隠されてしまっている。

数十年前。
車や排気ガスがなかったころ。

この街はどんな姿をしていたのだろう。

現在のこの街の発展はすばらしいが、
失ったものが遠くに見えそれを少し残念に思った。


そう言えば、東京はどんな街だったのだろう。

暮らしている間は気にも留めなかったが、
東京もまたスモッグに覆われたくぐもった灰色の街だったのだろうか。

多くの街を回るうちに、
それが当たり前でないことに気づいた今。
東京の街をもう一度見て、何を思うのだろう。

目の前に広がる灰色の街に、昔暮らした大都会を重ねた。


ぐるぐると山道を迷いながら降りて、
丘の下まで来るとすっかり日は傾いていた。

そう言えばご飯を食べていなかったことに気づき、
まだ開いているかわからないが市場を目指した。

市場自体は開いていなかったが、
その付近のレストランはまだ開いていて、
そのうちの一軒で食事をとることにした。

メニューはいつもの通りわからなかったが、
唯一スープという単語がわかり、
それを頼んでみるとかなりの当たりで、
パクチーが効いたタイを思い出させるそのスープに舌鼓を打った。


チリのビールは1リットル入りのビンが普通だ。

どう考えても途中で冷えてしまうその大きさは、
消費者のことを考えているとは思えないけれども、
それ以外の選択肢がない以上、
ビールを頼むときはある程度覚悟しなくてはならない。
ペットボトルのようなプラスチックの蓋を開け、
今日もまたそいつにチャレンジすることになった。

飲んでも飲んでも減らないビールビンの中身。

それをちびちびと飲み干していると、

「ハッポン?」

と目の前の席から声がかかった。


「Si. Soy JAPONES」と言うと、
一人のおじいちゃんがうれしそうに「日本人か」と言った。

片言だが日本語の話せるおじいちゃんに驚く。
聞いてみると17年の間、日本で働いていたことがあるそうだ。

日本語が話せると言っても、
僕のスペイン語程度で、つまりは片言とすらも言えない程で、
結局はスペイン語でぺらぺらとまくし立てるおじいちゃんと、
なんだかわからない話が始まった。

おじいちゃんは、
日本で17年間働き、名古屋、大阪、北海道と、
日本各地でいろいろな会社で働いていたそうだ。

ある日、警察に捕まったおじいちゃんは、
恐らくは不法滞在だったのだろう、
そのまま母国へと強制送還されたそうだ。

チリ人だと思っていたが、
どうやらペルー人のようで、
とても澄んだ潤んだ目をしていた。

殆ど会話にもなっていない会話だったが、
日本人と出会えたことをとても喜んでいて、
僕らは何度も乾杯をくりかえした。


それにしても色んな人生があるものだ。

17年間も国を働き、
挙句の果てに強制送還された人生とはどんなものだろう。

良い悪いは別にしてこういう外国人労働者がいるからこそ、
現在の日本があると言う事実は忘れてはならない。

その反面、無計画に移民を受け入れるとどうなるか。
それを僕はこの旅で身をもって経験している。

スペインやイタリアのような、
移民が犯罪を犯して暮らしている国。
イギリスやドイツのように、
移民が国民の仕事を奪ってしまっている国。

日本も含め、
多くには労働力の問題を抱えている。
その解決策として移民の受け入れというのは
旅に出る前には早く導入すべき当然の対策だと思っていた。

しかし実際にそれが起こっている国を見て、
その気持ちは揺らいでいる。

移民は決して日本人ではないのだ。

その常識を合わせることなしに、
それを受け入れることはできないと思う。
そして常識を合わせるとは、
ほぼ不可能に近いものだという現実も知っている。

遅々として進まない外国人受け入れ。
それを単に非難することができなくなった自分がいる。


とは言え。
今目の前に座っているおじいちゃんが、
日本のために働いてくれたと言う事実は忘れてはならない。

もちろん彼らの生活のためと言う側面が大きいのは確かだが、
それを利用して日本が成長してきたというのも確かなのだ。


アミーゴ!

そう繰り返す僕らの会話は中身はないが、
それでも本当に親しみを覚えたのは確かだ。

日も沈み始め席を立った僕におじいちゃんはこう言ってくれた。

「ありがとう。良い旅を」


その言葉は冷え始めた夕暮れ時にひどく温かく胸に残った。


正直なところ南米においては「人」が楽しみではなかった。

優しいがフレンドリーとは言いがたい南米人とは、
少し距離のある関係がちょうど良い。そう思っていた。



また、こんな出会いがあればいいな。


心からそう思う。

それが旅を楽しくさせる最も大きなものなのだから。