2009年3月10日火曜日

世界一周(38)パラグアイ/パラグアイの日常











DATE:2009/03/10 Paraguay - Asuncion -


外へ出てみると案の定、パラグアイの首都アスンシオンは何にもない、
これと言って特徴のない、なんだかなぁな町だった。

特にこれと言って歴史的な建物があるわけでもなく、
有名な美術館があるわけでもなく、
手にした観光マップを頼りに町を歩いてみても、
それがなんだっていうんだ、という建物を見てまわれるだけで、
やっぱりこうピリっとしたものは感じることができない。


とは言えだ、
そんなパラグアイ人にも結構面白い特徴はあって、
例えばそのひとつが人々がやたらとお茶を飲んでいるということだ。

マテ茶。と呼ばれるこの辺りのお茶を、
ここの人たちは四六時中飲んでいるようで、
なんとMYコップだけならいざ知らず、
MYポットさえも持ち歩いて歩いている。

マテ茶にもなんだかいろいろあるようで、
公園にはマテ茶の調合屋さんのような人が、
いろいろな葉っぱを混ぜてすり鉢ですりすりとやっている。

それをマテ茶専用のマテ茶コップに入れてお茶を飲むのだが、
このマテ茶コップというのもまた面白い。

マテ茶コップには金属で出来たフィルター付きのストローがセットになっていて、
それを使ってお茶っ葉を飲み込まないようにしているのだ。
ちょうど日本茶のポットにストローを突っ込んで飲んでいる感じだ。
そしてお湯がなくなったらポットに入ったお湯で、
マテ茶コップに再チャージしてまた延々と飲み続けるというわけだ。

そんなわけで公園には再チャージ用のお湯屋さんらしき人もいて、
公園はマテ茶だらけのマテ茶フィーバー状態になっている。

中には女子高生も混じっていて、
マテ茶を入れてもらったポットをみんなでシェアして飲んでいたりする。

国民総マテ茶。

何にも特徴がないように見えるが、
なぜかこんなところだけ変な文化があるのがパラグアイなのである。



実を言うとこのマテ茶を紹介してしまうと、
パラグアイの紹介が終わってしまうのだが、
もうひとつあるとすれば「スーパーパンチョ」なる食べ物だろう。

明らかに日本人から見ればギャグな「スーパーパンチョ」とは何ぞや。

それは・・・単なるホットドックの事である。
いつのころからこの素敵な名前が付いたのかはわからないが、
ともかくパラグアイではホットドックはスーパーパンチョなのである。

では「パンチョ」なる食べ物があるのかと気になるが、
残念ながらパンチョなるものは未だに見たことがない。
あくまでもスーパーパンチョはスーパーパンチョなのである。


そんなわけでマテ茶とスーパーパンチョだけを知れば、
もうパラグアイは十分とホテルに戻りゆっくりと一日を過ごした。

プールに入りぷかぷかと浮かんだり、平泳ぎの練習をする。
夕焼けの中、のんびりとした時間は過ぎていった。


アスンシオンでは食事もまたメインイベントのひとつとなる。

本日の日本食は「カツカレー!」

しっかりと日本のカレー。そしてカツ。
夢にまで見たその組み合わせに夢うつつ。


部屋に戻りアルゼンチンワインを飲み干し今日の一日が終わった。

2009年3月9日月曜日

世界一周(38)パラグアイ/ホテル内山田のすき焼き







DATE:2009/03/09 Paraguay - Asuncion -


相変わらずの町を覆いつくすような看板の山が僕を迎えいれ、
南米2つ目の国、パラグアイへ入国した。

前回のプチ入国と違うことはイミグレをきちんと通ったことで、
ほとんどそれをする人がいないからか、バスはあっさりとブラジル側のイミグレを通り過ぎ、
そのためかなりの距離を歩いて戻らなくてはならなかった。
ビザの要らないパラグアイへの入国はあっさりしたもので、
誰もイミグレを通らないため待ち時間0分の今までで最短の入国となった。

今朝の相方との別れもまたあっさりしたもので、
一応はこれで日本まで会うことがないだろうと思うが、
そんなことも何度も言ってきたことなので、またどこかで出会うんじゃないかとも思う。
と言うわけで友達とさよならをするような軽い別れの言葉を交わし、僕はリュックを背負ってホテルを後にしたのだった。



パラグアイに期待するものが特にあるわけでもない。

これから向かうウユニ塩湖への単なる中継地点でしかないこの国は、
南米を旅する旅人からも「特にこれと言って何もない国」として評判だ。
僕もまた目的を持たない一人なのだが、
唯一と言える楽しみがパラグアイの首都、アスンシオンにはあった。

その名をホテル内山田と言う。そのホテルが日本人にとっての唯一の観光名所なのである。
そのホテルにはプールやネット環境、バスタブのあるお風呂それに日本の新聞などなど。
日本人が喜ぶ設備が整えられていて、さらに日本食の朝食が付いてくる。
納豆に卵、のりに梅干。。日本の味に飢えた旅人にはたまらない魅力だ。

それともう一つ、ホテルに併設された日本食レストランもある。
そこで出される「すき焼き」は既に旅人の間では定番と言ってもよく、
南米でのご馳走の一つとして数えられている。

そんなわけでこの国唯一の楽しみ「ホテル内山田」へと向かうため、
お買い物で賑わうシウダー・デル・エステの町をすぐに抜け出し、
首都アスンシオンへと向かうバスへと乗り込んだのであった。



町を出たバスは首都へ向けて延々と田舎道を走っていく。
そこはブラジルとそう大差のない景色で道もまた快適なアスファルト道が続いていく。
この国の知識はそう多くはないが、この国が思ったよりも豊かであることを感じた。

もちろん町の周辺にはちらほらとバラックのような家が建ち貧富の差が大きいことは感じられたが、
先日町中で見かけたショットガンが必要なほどの危うさは感じない。
豊かでも貧しくもない中流な国民がこの国は多いのかもしれない。
のんびりとした雰囲気の道をバスは快適に走り続けた。


4時間も走ると首都のアスンシオンのバスターミナルへとたどり着いた。
そこから市バスに乗ってセントロへと向かう。

市バスから向かう間に眺めた町の風景は、
やはり豊かでも貧しくもない地方都市のような雰囲気を持っている。
市場は活発に機能しているようで食材が並べられたお店の前をいくつも通過した。

そう言えばブラジルを抜け出し、ついにスペイン語圏へと入っていた。
とはいえそれを感じるほど言葉が出来るわけでもない。
挨拶が「オーイ」から「オラ」に変わり、
ありがとうが「オブリガード」から「グラシアス」へと変わったぐらいだ。
必死で覚えた数字もスペイン語へと変わっているが、
ポルトガル語とスペイン語の数字は共通することが多く、
いくつかの異なる部分だけを覚えなおすだけで済みそうだ。

問題なのは染み付いたポルトガル語が抜けないことで、
特に似通っているだけに切り替えがなかなか進まないことだった。
そんなわけで、挨拶をするときははポルトガル語とスペイン語、1回ずつ両方言っている感じだ。
まぁ、そのうち慣れるだろうと思うがなんだか忙しない。


そんなことを思っている間にホテルの近くらしい場所へとたどり着きバスを降りた。
ネットで調べた住所と簡単な地図を頼りにホテルへと向かうがわかりにくく、
何度も周りの住民や警察、さらにタクシーの運転手にまで力を借りて、
どうにか「ホテル内山田」と日本語でかかれた雑居ビルのようなホテルの前へとたどりついたのであった。

日本語でチェックインを済ませ部屋に荷物を置く。
もちろん最初にしたことはバスタブのチェックで、実際にそれがあることを見ると気分は一気に盛り上がった。
何ヶ月ぶりかのバスタブに夜が待ち遠しくなり、机が置かれクーラーも付く、
久々の贅沢なホテルに一人の寂しさも忘れ一人部屋でにやにやとした。


夕食の時間まで時間があったので、噂のプールへと向かう。
ホテル自体は古いが掃除は行き届いているようでなかなか悪くない。
室内プールの水は少し冷たかったが蒸し暑い外にいるとそれも心地よく、
水着に着替えてから1時間ほどゆったりと水の中で息抜きをした。
じんわりと日が暮れていき外の空気が肌寒くなり始めたころ、
ちょうどお腹も減り始めたので夕食を食べにレストランへと向かった。




レストランの中は思ったよりも混んでいて日本人らしき姿が多く見える。
恐らくは現地の駐在員なのだろう。何人かはスーツにYシャツといった姿だ。
普段旅の中で見ることのないタイプの日本人の姿はとても新鮮で、
彼らの物語を聞いてみたくなった。

「いらっしゃいませ」の挨拶で席に通された僕は、
手渡されたメニューを見ながらやたらとにやにやしっぱなしである。

お目当てのすき焼きはもとより、寿司にしゃぶしゃぶ、カレーライス、鍋焼きうどん。
ありとあらゆる日本食のメニューがずらりと並ぶ。
値段もかなり安く、普通どんなに安い国でも日本食と言えば千円は下らないところを、
たった500円程度で多くのメニューが食べられるようだ。
日本人のつぼを押さえた心憎い品揃えの数々に頼んでもいないのにわくわくした。

メニューの多さに心が揺らいだが予定通りにすき焼きを頼み、ついでにビールを注文した。

少し待つと姿勢の良いウェイターがギンギンに冷えたビールを持ってきて、
丁寧に栓を抜きそのままグラスへと注いでくれる。
そのサービスを見ていると日本と言う国はやはりすばらしいところなのだ、と実感した。

周りのテーブルでは現地駐在員や日系人らしき人々の歓談が続いている。
みな一様に楽しそうで、この場所がある意味オアシスのような機能をしていることがわかる。
外国に暮らす人々にとってこういう日本を感じさせてくれる場所は貴重なのだろう。
特に食事と言う生活の根幹を成す行為はことさら母国を感じさせてくれるように思える。
食事と言うアイデンティティはしっかりと人間の心の中に刻まれているようだ。


たっぷりの赤いお肉と春雨に白菜、にら、もやし、etc。
目の前に置かれたすき焼きのセットはにやりとするほど懐かしく、
添えられた生卵が嫌がおうにも気分を盛り上げる。

すでにテーブルの上には銀色のすき焼きなべが置かれ、コンロの上で待機している。
まずは肉でも焼こうかと思っていると日本的な制服を着たウェイトレスがやってきて、
なんときちんと油を塗った後、彼女が全ての調理をしてくれる。
そのサービスに驚き、焼けて白く色づいた肉に目が釘付けになった。

ウェイトレスがスープを持ってくると、それはゆっくりと銀色のなべの中へと注がれた。
待ちきれずにスープをぺろりと舐めると文句なしに日本の味で、
出汁がしっかり効いたスープは温めるとふわりと湯気にのってそのおいしそうな香りを運んだ。

これは・・・やばいぞ。
視覚、嗅覚、ついでにじゅうじゅうと沸騰する音に聴覚までが目の前の料理を欲している。
既に調理を終えたすき焼きなべは後は頃合を見計らって口に運ぶだけである。

さて食べるか。

煮だったなべの火を少し落とし、まずはお肉となべの中の一切れを選び、
そいつを黄色い生卵の中をさらりと通す。
箸の間にはふわりと湯気を立て卵で濡れたおいしそうなお肉が。それを口の中にぱくりと運んだ。


・・・うめぇ。

完璧にすき焼きなすき焼き。
求めていたものと寸分違わぬその味が染み渡るように感動を呼んだ。

南米の、しかもパラグアイという辺鄙な国で。

なにかこの場所がものすごい場所のような気がした。
何があったか知らないがある日本人がこの場所へとたどり着き、
そして今、多くの日本人を癒している。

ありがとう。すき焼きを食べながらそう思った。

ゆっくりと味わいながらすき焼きを食べ、
ご飯をお代わりし、さらにスープまで味わいながら夕食を楽しんだ。


ただいまパラグアイの首都アスンシオン、ホテル内山田。

ぼくはいま幸せの真っ只中にいる。


SUKIYAKI 万歳!

2009年3月8日日曜日

世界一周(37)ブラジル/ロスタイム’day







DATE:2009/03/08 Brazil - Foz do Iguazu -


別れが辛くなったわけではない。

もちろんそりゃ寝ぼけまなこでこっちを見る相方の顔を見れば、
多少なりとも心は揺らぐが、いままでだってそうやって別れてきたのだ。

単に「まぁいいや」と思ってしまっただけで、僕のパラグアイ行きは明日へと延期になった。
それでも二人でいられる時間が増えたのは間違いない事実で、
そんなダラダラな一日の始まりに僕らは照れたように笑った。


イグアスの滝も既に見てしまったため、この辺境の町にはもうやることもない。
一日ずっとビールを飲んで過ごすのもよかったが、
そう言えばインターネットに最近触っていない事を思い出し、
今日は一日がっちりネットをやって過ごすことにした。


ガイドブックを持っていない事もあり、僕の旅にはネットが必需品になる。
旅にも慣れてきたこの頃は、大概のことが行けばどうにかなると経験的に知っているので、
次の目的地についてこと細かく調べることは少なくなったが、
それでも行き方や宿の情報、観光情報なんかはあって損するものではない。
それに南米という場所に慣れてきたものの、
やっぱり未知の部分が多いこともあって生の情報を得るのは旅を安心して楽しむための保険でもあった。

それに日記が結構たまっている。
日記のほとんどは書き終わっているものの、ネットにつなげていないので、
パソコンに保存された状態で眠ったままである。
WEB上では僕はまだ中東にいたりするのだ。
なんとかこれを現実に近づけようと努力はしているが、ちょっとづつ逆に離れてしまっている。
それを少しでも戻そうとネットカフェへと向かった。




「mixiの容量を超えています。新しい日記を作成するにはプレミア会員に登録する必要があります」

意気揚々とネットカフェに向かった僕に放たれたメッセージはそれで、
見たとたんに一気に今日の勢いが萎えていった。

日記は未来のためのメモ代わりで必要だと思うが、わざわざ有料登録までして書くほどのものではない。
さてどうしたものかと悩んだが、昔の日記を削除するのも何か違う気がして、
諦めて今日のネット作業は情報収集に徹することにした。

しかしどうしたものか。

面倒だが外部のブログに日記を移す必要があるかもしれない。
もともと最初はmixi以外の外部ブログを利用するつもりだったのだが、
出発前に準備することが出来ず、だらだらとここまで来てしまった。
正直1年分の日記を移動するのは億劫だ。
1時間ほどで情報収集も終わってしまい、まだ続けると言う相方を置いてネットカフェを出てからもあれこれ考えたが、
結論から言うとやっぱりめんどくさくてもやるしかないことがわかった。
憂鬱な結論に僕はただビールを飲んで一日を過ごした。
蒸し暑いイグアスの町、冷たいビールは茹だった脳みそを冷たく冷やした。

ダラダラと過ごすのは得意ではない。
かといって真夏のような町の中を歩く気にもならずビールを飲みながら、
溜まった日記(掲載先の当てのない日記)を書いているとあっという間に日が傾き、
ロスタイムのような一日はこぼれた水のようにあっという間に消えていった。
部屋に戻ってきて絵を書き出したマサミを見ながら、またビールを飲んだ。



最後の一日。別れの一日。

インド、トルコ、スペイン。
もしかしたらまた再会しまた別れるのかもしれない。

へんてこなピザを片手に夜の町、
路上へとはみ出したプラスチックのテーブルの上、僕らはブラジル最後の乾杯を交わした。

茹だるような暑さを風が吹き飛ばし、
僕らはその風に吹かれ取り留めのない話をした。
相変わらずビールは冷えていた。


特別ではない一日。
ロスタイム’day。

空っぽになっったグラスが今日の終わりを告げた。

2009年3月7日土曜日

世界一周(41)アルゼンチン/生まれいずる命















DATE:2009/03/07 Argentine - Puerto Iguazu -


生まれ。落ち。生まれ。

繰り返される命のようにその水はあふれ出る。

僕は今、命の前にいた。


青い空の下。
命を祝福するように、幾千もの黄色い蝶が空に舞った。


Iguazu Water fall, in Argentine'side

2009年3月6日金曜日

世界一周(38)パラグアイ/免税の町







DATE:2009/03/06 Paraguay - Ciudad del Este -


パラグアイに行ってみることにした。

とは言ってもどうせイグアスの滝の後にもう一度行くのだが、
首都のアスンシオンだけ訪れるのもなんだかなぁ、と思い
日帰りで国境の町のシウダー・デル・エステへと向かった。


ブラジルとパラグアイの国境には橋が架かっており、
日帰りであればバスに乗ってそれを越えるだけで入国ができる。
つまりはほぼ密入国に近い形なのだが、物資の移動が頻繁なこの国境ならではだろう。
ちなみにそのままパラグアイを旅行することはできるが、
出国の際に別の国境を使った場合はその場で罰金を支払う事になる。


パラグアイ国境の町は「免税の町」として有名だ。
免税の町といえばあの何にもないアンドラの国を思い出す。
が、シウダー・デル・エステは国境を越える前からそこが一味違うことを示してくれる。

ブラジル側からの橋を渡るその前にはものすごい量の「看板」が現れる。

高速道路にあるような大型立て看板が所狭しと町を埋め尽くしているのだ。
そう言えばアンドラに入る前もこんな看板がいくつかあったなぁと思い出す。
免税の町というのがやることは世界どこへ行っても変わらないようだ。


パラグアイの町はきれいに整備されたブラジル側とはまったく異なり、
いきなりアジアを彷彿させる町の雰囲気に変わっている。
その変化にやっぱり国というのは違うのだと思い知らされる。

その活気あふれる市場のような町にまず現れたのは・・・「ショットガン」。。

ショットガンですか。。パラグアイさん。。

今までも南米含め多くの国で銃を携帯する警備員はよく見てきたものの、
さすがにショットガンまでの破壊力を持つ武器を携帯している警備員は見たことがない。
それほど危険そうに見えない国なのだが、やはりお買い物の町とあって警備は厳しいのだろうか。
のほほんとウィンドーショッピングでも楽しもうと思っていた休日モードのテンションに
いきなりの先制攻撃を食らった感じだ。パラグアイ、あなどれない。


お買い物の町シウダー・エル・エステ。
その名の通りショッピングセンターだらけの町である。

ずらりと並ぶ大きなビルの中に小さなお店がずらずらと並んでいる。
商品の品揃えはと言うと電化製品に洋服が主なもので輸入雑貨なんかも置いてある。
電化製品の値段を聞くと確かに安い。
日本で買う値段とほぼ同じ程度で購入することができ、
南米含め世界中の中では最も安いのではないかと思える。


が、、まぁ、、電化製品に洋服。

正直、こんなもの見ててもすぐに飽きるというものだ。
目的のないウィンドーショッピングは驚きがないと楽しめないもので、
見慣れた電化製品や中国直輸入のダサイ洋服など見てても面白くもなんともない。
面白いのはお店に書かれた「SONY」の看板の文字が明らかに変であることぐらいだ。
どうやら「お買い物の町」という奴には個人的に相性が悪いようだった。

少し歩くとこの町にも飽きてしまい、
せっかくなのでパラグアイご飯でも食べようと探すもなかなかこれが見つからない。
諦めてジュースで喉の渇きを癒し、スーパーパンチョという名の怪しげなホットドックで我慢して
ブラジル側に戻ってから食事をすることにした。


せっかく来たのでということもありお買い物以外にも面白いことがないかと探し回る。

そこで出会ったのがモスクだ。
なんとイスラム今日のモスクが南米の地にもあるのである。

そりゃ宗教なんだからどこにでもあるよ、と言われればその通りなのだが、
キリスト教一辺倒の南米に、あの懐かしい丸っこい姿をしたモスクがあると少し懐かしさを感じる。
その近くには恐らくは中東からの移民だと思われる人々が経営するお店があり、
中東で見たことがあるような怪しげなお菓子やらを売っていた。
ちなみにこのお店でお買い物をしたら久しぶりにぼったくりにあったのも、
これもまた中東らしくてよい感じだ。

そう言えばブラジル側のフォス・ド・イグアスにもなぜかレバノンの国旗の絵があったのを思い出す。
町にもやはりトルコ料理と書かれた中東料理を出すお店が幾つかあった。
どうやらこの辺りは中東からの移民が多く住む地域らしい。

サンパウロのポルトガル語博物館になぜかあった移民の歴史の中に、
中東からの移民(と言うよりは奴隷)が幾つか含まれていたことを思い出した。

日本を含めアジア各国や中東、そしてアフリカにもちろんヨーロッパ。
思っていた以上にブラジル付近は多くの移民が暮らす人種のるつぼになっていた。


そんな町の面白探しも1時間もすればやることがなくなり、
なぜか5時前から早々と閉店準備を始める不思議な町を後にした。

パラグアイ。噂どおりに何もない国らしいw



夜中外に出て、久しぶりに一人でビールを飲み干した。

路上まではみ出したオープンテラスでは、
ジプシーのような女性がギターを片手にブラジル民謡を歌っている。

歌い人。笑い人。

久しぶりの一人の夜に心地よい風が吹いた。