2009年1月5日月曜日

世界一周(29)イスラエル/さようなら。また会う日まで。







DATE:2009/01/05 Israel - Jerusalem -


相方マサミがまた怒っている。

まぁ、いつもの事だが確かに今回は相手の方が悪い。

実際起きたことは小さなことで、
単に両替のときのコミッションをきちんと相手が伝えなかった。
それだけの事で、実際損をしたのも小額だ。


それでもやはり仕事としてやっている以上、
それを伝えるのは当たり前の義務だし、
せめてそれをどこかに書いていれば良いのだが、
今回はそれもなく「コミッションは当たり前だろ」という返事だ。



世界に出ると日本の商売スタイルが当たり前ではないことに気づく。

いつも笑顔でお客様は神様だと思え。

そんなのはなんと世界で日本だけなのである。

ヨーロッパや中東へ行けば、
客よりも店の方が立場が強いことも多く、
僕らはいつも「買わせてもらう」立場になるのだ。

アジアは日本に近いところもあるが、
やはり店と顧客の関係は対等ぐらいで、
どちらも自分の利益のために交渉をしなくてはならない。

だから日本の常識で物を買おうとすると、
これは結構イライラさせられることになる。

無愛想な態度。買い物を急かす店員。
お釣は叩きつけるように渡す。むしろお釣など用意していない。

今でこそ慣れてしまったが、
良くこれで商売が続けていられるな、とも思える。

ここに日本人が来れば大抵の場所でNO.1になれるだろう。
考えたこともなかったが日本のサービスは世界一であることは間違いないようだ。

僕たちの当たり前はとても素敵な贈り物だった。



そんなわけでブーブーしているうちに、
イスラム今日の聖地、岩のドームは閉館時間が過ぎてしまい
入れなくなってしまったのであった。


仕方ないのでその辺の観光をしようと、
ぶらぶらと町を歩く事にする。

そしてここがやはり聖地なのだなぁ、ということを思い出すのであった。

なにせ5分も歩けば何かしら特別な場所へとたどり着くのだ。

何気なく入ってみたところは、
キリストが監禁されていた牢獄だったし、
歩いていた道はもちろんキリストが処刑される為に歩いた道だった。

旧市街を一歩外に出てみるとダビデの墓があり、
そこから沈む夕日を眺めた。


明日、僕はこの町を離れることにした。

昨日出会ったパレスチナ人の店員に別れを告げる。
そして二人で最後の晩餐の準備をする。
明日からマサミとも別れて別々のルートを行くことになるからだ。


最後の晩餐はチャーハンだった。

何も特別ではないが、
おすそ分けの黒胡椒は特別の思い出を作ってくれた。


キリスト教区で手に入れたワインを持って。


乾杯!


さようなら。また会う日まで。

いつかまた出会うまで。

2009年1月4日日曜日

世界一周(29)イスラエル/磔。嘆き。そして戦争。






DATE:2009/01/04 Israel - Jerusalem -


エルサレムは
キリスト教、ユダヤ教、そしてイスラム教の聖地であり、
それぞれに代表する建物があり、
また生活もそれぞれの宗教によって居住区域さえも別れている。


キリスト教は、キリストが磔にされたゴルドバの丘のあった場所に立つ聖墳墓教会。

ユダヤ教は、エルサレム神殿跡に最後に残った嘆きの壁。

イスラム教は、ムハマンドが夜の旅に旅立った場所に立つ岩のドーム。


それぞれに世界各国から信者が訪問に訪れる。



今日はキリスト教の聖墳墓教会とユダヤ教の嘆きの壁に行ってみることにした。


聖墳墓教会へと訪れる道には朝からたくさんのツアー客でごった返していた。
どうやら聖地をまわる宗教的なツアーのようで、
熱心な信者の方々が真剣にガイドの話を聞いている。

どうやら聖墳墓教会へといたる道は、
キリストが磔にされる前に歩いたとされる道だそうで、
そこには十字架が置かれ信者たちはそれに祈りながら道を歩いていた。



聖墳墓教会の中に入ると、
その雰囲気でここが単なる教会ではなく聖地であることがわかる。

熱心な信者たちは入り口を入ってすぐにある、
祈りの場のようなところで清めの儀式なのか、
バッグやら荷物を置き祈りを捧げている。

入り口から既に何か特別な場所であるという雰囲気はあるが、
入り口を左に曲がりゴルドバの丘があった場所までくると、
それが一層確かなものに感じられる。


聖地。


それが無宗教の僕には何なのかは、
そう多く実感できることではないが、
その場所の持つパワーと言うか神聖さは、
はっきりと感じることができる。


ここでキリストが処刑された。

それはある意味ではキリスト教の始まりであったのだと思う。

ここからある一つの宗教が始まった。
世界中の多くの人間に影響を与えるものがこの場所から生まれたのだ。


そしてそれはある意味では戦争や、
血なまぐさい出来事の発端でもあったのだ。

宗教は結局のところ政治との結びつきが強く、
国を大きくするための一つの手段であったことは確かだと思う。

群集をまとめるために使われた、
そのわかり易い扇動の道具は幾度も争いの理由になった。

やれ異教徒を根絶やしにしろだの、
神を守るための戦いだの。

ただその土地を奪いたいという権力者が、
宗教を道具にして民衆を煽り、他人の土地を我が物にしていく。

理由なき略奪に、
意味をつけるには宗教とはなんと便利な道具なのだろう。


そんなことを思うと、この場所がとても複雑な場所に思えて、
感慨にふけりながらしばらくその磔の跡地を眺めていた。


ゴルドバの丘の上には教会が立てられており、
さらにその上を教会が覆っている。

家の中に家があるような二重構造のその教会は、
違和感があるが、それが必然の姿にも思える。

室内にはたくさんの信者が、
祈りを捧げようと列を成していた。

もちろんその多くは観光客だったが、
教会の中に入り、出てきた人々は何か特別な顔をしていた。

僕にはわからないその感覚が少しうらやましくも思えた。



教会から出てもそのパワーに少し中ってしまって、
休憩がてら旧市街の外に出て昼食をとりながら、
いつものように今感じたことを二人で話した。

こういう時に誰かといるというのは良いものだ。
特に言い表せないような感情が伴う時はさらに。

宗教が生まれた場所。争いが生まれた場所。

いくつもの歴史や思いがそこにはあった。




日が傾き始めるまで外でのんびりしていたが、
今度はユダヤ教の嘆きの壁へと行ってみることにした。

ユダヤ教について、僕はほとんど何も知ってはいない。

ユダヤ人という迫害を受けた人々の歴史ならば少しは知っているけれど、
その彼らが信じる宗教についてはさっぱりだ。


ただ一つ、知っていることと言えば「選民思想」のことだ。

彼らユダヤ人は神に選ばれた民族。
彼らは本気でそう思っている。

その根拠は?なんて聞いても、
それは神が決めたことだからと、質問自体に意味がなくなってしまう。

この選民思想はある意味で、
ユダヤ人が世間から疎ましく思われる一つの理由なのかもしれない。
そりゃそうだ、俺は選ばれた人間だ。なんて
えらそうに言う奴は、やっぱり友達にはなれそうもない。


それでも僕はユダヤ人という人々に興味がある。

というよりも何も知らな過ぎるのだ。きっと。

彼らがなぜ迫害されたのかも、なぜユダヤ教が始まったのかも。

だから彼らの事を強く云々言えない自分がいた。



嘆きの壁に入るには金属探知機のチェックが要る。

ほかの宗教の施設はいらないのだが、
なぜここだけが?そう思うが、
ここがユダヤ教に唯一残された聖地であることと、
ユダヤ教自体がテロなどのターゲットにされる可能性の高さを考えると、
それもまた仕方のないことなのかもしれない。

しかしそれは何かイスラエルが、
ユダヤ人の国だという事を強く表している気がした。



セキュリティチェックを通って、
嘆きの壁を見下ろせる場所に立つと、
ここもまたやはり聖地なのだということが肌で感じられた。


嘆きの壁に向かい、
熱心に祈りを捧げるユダヤ教の人々。

真っ黒なコートを羽織り、
シルクハットのような黒い帽子をかぶりながら、
体を揺らしながら全身で祈りを捧げている。

体を揺らすたびに、
特徴的なクルクルと巻かれた長いもみあげが、
ふらふらと一緒に揺れている。

嘆きの壁は祈る場所も男性と女性でハッキリと別れていて、
これもまたユダヤ教の宗教観を表していた。


マサミと別れ僕は男性側の壁へと行ってみた。

入る前には宗教上のマナーから
紙でできた帽子をかぶる必要がある。
河童の皿のような小さな帽子。
そういえばお土産屋さんにもこういう帽子がたくさん売られていた。

壁で祈りを捧げる人にはいろんな人がいて、
子供から老人まで、さらには軍人までもいて、
みな熱心に壁に向かって祈りを捧げていた。

聖書のような本を片手に一心不乱に体を揺らしながら祈りを捧げる姿は、
一種異様ではあるのだが、
それはその祈りの激しさから来るもので、
ある人は苦痛に顔をゆがめ、
ある人は壁に向かって嗚咽を漏らしていた。

何をそんなに嘆いているのだろう。

僕はそれが不思議でたまらなかった。
日々そんなに辛いことがあるわけではないだろう。
それでも彼らは嘆いている。

彼らは何について毎日こんなにも嘆いているのか。
彼らの持つ本の中にはどんなことが書いてあるのだろう。
それを僕は知りたくてしかたなくなった。

なんだか嘆くことに慣れすぎて、
それが日常になってしまっている気もした。
毎日嘆いてばかりの宗教なんて何の意味があるんだ。


嘆きの壁の左奥には図書館のような場所と、
室内の祈る場所があり雨にも濡れても大丈夫なようになっている。
本棚には僕には読めない文字で、
たくさんの宗教関連の本が置かれていて、
それを熱心に読んでいる人たちがいた。



嘆きの壁から離れて外に出て、
女性側の方へ行っていたマサミと合流して、
また今の出来事について話をした。

女性側には本当に涙を流す人たちがたくさん居たという。

そこまでさせる宗教とはなんなのだろう。
彼らの悲しみとは何なのだろう。


僕はやはりユダヤ教と言うものについてあまりにも知らな過ぎた。

だから僕の目には彼らのことが異様な姿にしか見えていない。
それがとても残念なことに思えた。

彼らがなぜ嘆くのか。
彼らがなぜ祈るのか。
彼らがなぜパレスチナ人を迫害し続けるのか。
彼らがなぜ・・・。

僕はあまりにも無知だった。

だから今はただこの光景を記憶に刻むことにした。
いつかまた何か知ることができたら。
その時は今日の事を思い出して一つ彼らを理解することができるだろう。
それを待つことが唯一僕にできることだった。



帰り道、ぐるぐるとうねる細道をぶらぶらと歩いていた。

お土産屋や小売り店が道の両側をびっしりと埋め尽くしていて、
それを冷やかしながら歩くのはとても楽しい。

エリアごとに居住区が違うからか、
道を一本ずれると異なった宗教のお土産が売っていて、
それもまた面白いことでもある。
当たり前だがキリスト教区にはワインさえもあるのだ。
もちろんそれはイスラムではご法度であるため、
どこを探しても見つかりはしない。

イスラエルのお土産屋の品物はかなりレベルが高く、
普通に欲しいと思えてしまうようなものがいくつもある。

民族衣装やアミュレット、そして指輪などの貴金属。

そのデザインや品質がどれを見ても良い品で、
さすが聖地。下手なものは売っていない、と思った。

そりゃそうだろう。
自分の宗教の聖地まで行って、
「xxへ行ってきました」みたいな
どうでもいいお土産を売っていたらがっかりするに違いない。
そんなところでもここは聖地だった。



お土産屋を見ているとたくさんの声がかかる。

そのうちの一人に呼ばれ彼のお店の中でお茶を飲む。

そして彼はパレスチナ人だった。


最初はマサミと僕と彼、
そして近くにいた友達と一緒に楽しく話していただけだった。

そのうち自然に話がパレスチナについてになる。

それはきっと僕らが求めていたからかもしれない、
それとも彼が求めていたのだろうか。

僕らは彼の話に自然と聞き入った。



1948年、この国はイスラエルとなった。

過去この地に暮らし、
今では多くの迫害を受け散り散りになった
ユダヤ人の長年の願いが成就したというわけだ。

イギリスの主導により進められたこの建国は、
ユダヤ人にとっては記念すべき奇跡のような出来事であったのだと思う。


だがしかし。
パレスチナ人の彼は言った。

そこは私たちパレスチナ人が住んでいた土地だった。と。



確かに過去、ユダヤ人はこの地に住んでいた。

しかしそれは2000年前の事だった。確かに彼らはこの地に住んでいた。

その後、どのように支配者が変わったのかはわからないが、
ユダヤ人は戦争に負け、土地を追われ散り散りになったらしい。
ドイツ軍によるユダヤ人虐待のイメージしかないが、
彼らがどういう暮らしをしてきたのかを僕は知らない。



そしてパレスチナ人は2000年の間、そこに住んでいた。

2000年前の土地の所有権。
それがどちらにあるのかは子供にだってわかる。


しかしイスラエルという国はできてしまった。

建国と同時にイスラエルはユダヤ人国家となり、
パレスチナ人が住む土地をことごとく奪っていったそうだ。

アラブ系の周辺各国がそれを防ぐために、
イスラエルに戦争を仕掛けるもことごとく敗北。
パレスチナ領土の問題は完全にイスラエルに所有権があることになってしまった。


彼は続けた。


いま、またパレスチナ人が戦争で殺されている。

武器を持たない僕らは戦うことができない。

母を殺され、子供を殺された僕らは何をすればいいのだ。


そう言って熱くなっていた彼は言葉に詰まった。

僕たちは何も言うことができなかった。
それがこの土地で起こっている現実だった。



知っているか?と彼は続けた。


我々はアラブ諸国の支援で生きながらえているのだ。と。

イラク、サウジアラビアなど、
オイルマネーで潤うアラブ諸国。

その資金が闇でパレスチナ人社会へと流れ込んでいる。


彼はそう言った。



裏側が少し見えた気がした。


結局のところ。
ただの代理戦争でしかないのかもしれない。

イスラエルという国を使ったアメリカと、
パレスチナ人という人を使ったアラブ諸国の。

イスラエルを楔として、
中東のオイルを狙うアメリカと
それに対抗するアラブ諸国。

なんとなくそんな構図が浮かんできた。


それは間違いかもしれない。

しかしこの争いにはきっと裏がある。
シンプルな民族間の争い以外にもきっと何か別の思惑が。


誰かの利益の為に、
他の誰かが毎日死んでいる。


その現実が彼の話以上に僕を揺らせた。

知っているのだろうか彼らは。
ただ利用されているだけだと。

知ったとしてもそれを拒否する現実はないのかもしれない。
それがまた一層、僕の心を黒く染めた。




またね。

そう言って彼の店を離れた。


昨日であったパレスチナ料理の主人を思い出した。

いまならもう少しわかる。彼の怒りが。

少しだけだけど。
わかった気になっているだけかもしれないけれど。



しかしなんていう場所に来たんだろう。

毎日、考えさせられることばかり。

世界はやはり面白い。

2009年1月3日土曜日

世界一周(29)イスラエル/いざ戦場へ







DATE:2009/01/03 Israel - Jerusalem -


眠い目をこすりながら相棒をたたき起こし、
イスラエルへ向かうバスに乗った。

今日はついにイスラエルに入るのだ。

今後の予定を考えると、
そう長い間は滞在することはできないが、
キリスト、ユダヤ、イスラム教、と3つの聖地が交じり合う
聖地エルサレムがあるその国に期待しないわけにはいられない。



そしていま。


この国では戦争が起きている。



野次馬根性と言ってしまえばそれまでだが、
戦争を知らない僕たちが生の感情を知れるチャンスでもある。

幸いにもイスラエルから帰国した人たちからの情報では、
イスラエルやテラヴィヴといった観光地や、
ガザ地区から遠い北方は特に危険といった雰囲気ではなく、
入国もすんなりとまでは行かないが通過可能とのことだ。


危険情報は旅をする上で最も配慮しなくてはならない。
それはこの旅を通して十分わかっていることだ。

インドのデリーやカシミールのテロ、
パキスタンや中国でのテロ。

それはたった1週間やそこらの違いで、
間近に起きた死の出来事であった。

それでもなお絶対に安全とは言えないイスラエルへ、
なぜ行くのかと言われると明確な理由はないが、
この未知の国に一度は触れてみないことには、
世界を旅している意味が1つ減ってしまうような気がした。

この国を知りたい。
イスラエルを間近に、本心からそう思うようになっていた。




イスラエルの入国は平時でも簡単ではない。

それが戦時中ともあってヨルダンからイスラエルへ向かうバスでは、
少し緊張をしていた。


イスラエルへの入国の手順はこうだ。

まずヨルダン側の国境に行き出国の手続きをする。
この際に忘れてはならないのが、
別紙へと出国のスタンプを押してもらうことである。

通常ならば問題がないが、
イスラエル入国後にシリアなどアラブ諸国を回る場合、
この手続きを踏まないと、
ヨルダンの出国スタンプからイスラエルに入国したことがばれてしまい、
パスポートを新しく更新しない限りは、
それらの国に入国することができなくなる。
唯一、ヨルダンだけが例外で、
この国だけは滞在が認められているのだ。

この事がイスラエルとアラブ諸国との関係を如実に表していると言っては簡単過ぎるが、
その現実はこういったところにも影響を及ぼしている。


ヨルダン側の出国手続きが済んだ後は、
国境を渡るバスに乗り日本が建設に協力したという友好橋を渡って
緩衝地帯を抜けると難関のイスラエル側の入管が待っている。


ここからが問題だ。

バッグは何か別のゲートを通って荷物検査をされている。
最悪の場合は中国でやられたように全チェックをされるかもしれない。
別に見られて困るものはないが、時間がかかるのでめんどくさい。

荷物を渡し、入管の列に並ぶと、
なにやらマシーンのようなものの間を皆が通っている。

単なる金属探知機ではなく見慣れない、
電話ボックス大の結構大きなものだ。

前の人を見ているとなにやら空気を噴出する機械らしい。
消毒でもされるように人を上から下へ、
プシュ!プシュ!と音を立てながら嘗め回すように空気を吹き付けている。

順番が回ってきてついに僕の番。

少し緊張しながらマシーンの真ん中に立つ。


ブシュー!ブシュ!!!ブシューン!ブシュ!


頭から足の先まで左から右から、
さらに角度を変えて斜め横からも空気が噴出してきた。
別に痛いものでもなくなんか面白かったが、
何に使うのか疑問だったが、少し考えたら見当がついた。


たぶん武器か何かを探知する機械だろう。


空気圧の反射を測り何か硬いものがあれば
反応するようにできているのかもしれない。
金属探知機は通らなかったし、それの上級版という奴だ。

それにしても厳重な警備だこと。

まぁ、イスラエル側からすれば、
国境からテロリストが入ってくるのを防がなくてはならないため、
それもまた仕方のないことかもしれないが。


僕とマサミ。

二人とも無事にマシーンを通過して、
もう一度、イスラエル入国の作戦を確認する。

スマイル。そしてノースタンププリーズ。


まずは管理官選びからだ。

この管理官の善し悪し(?)で入国がスムーズに行くかの第一歩が決まる。
なにせ人によっては3時間以上も別室で拘束されることもあるのだ。

管理官は全員女性で、
恐らくは徴兵で召集された人たちだろう。

軍隊らしくないわけではないが、
髪型はパーマだろうが何色だろうが自由だし、
たいてい耳にはピアスが付いていたりする。
制服もかっこ良く若者が好みそうなデザインだ。

なので見た目だけはなんだか高校みたいなのだが、
ここはやはりイスラエル人のこと。
目つきは鋭く、笑顔などは見せてくれない。


マサミと同じ列でも良かったのだが、
空いているのに同じ列に並ぶのも変な気がしたので、
二番目に気のよさそうな女性の前に立ちパスポートを差し出した。

そしてすかさず、

「ノースタンププリーズ!!」

取りあえずこれを忘れてはならない。
しかしこれを聞き当然ながら女性の顔は強張る。

「Why?」

当然のごとくその質問が返される。

当たり障りがないように、
陸路でトルコに抜けたいのだけれど、
シリアを通らなくてはならないから、と言い訳をする。


ちらりとマサミの方を見る。
そして僕の顔を見て彼女は思い出したように、

「ノー・・ノースタンププリーズ!!」

と言った。。。。

おぃ、遅せーよ。。。。

と思ったが、そのあどけなさが良かったのか、
さっさと別紙スタンプを押してもらい彼女は、
するりと入管を抜けていってしまった。


僕はというと相変わらず質問詰めだ。

「仕事は?」「父親の名前は?」
「何日ぐらいイスラエルにいるの?」
「イスラエルはどこに行くつもりなの?」

どーでもいい質問をいくつか繰り返され、
それにも真面目な顔をして真摯に答える。
機嫌を損ねられたらたまらない。
ここはただ耐えるのみだ。


10分後。

ようやく開放されパスポートは無事別紙スタンプと共に返されたのであった。


これでイスラエル入国!


と思ったらそれで終わらないのがイスラエル。

さっさと入管も税関も抜けてしまったマサミを尻目に、
僕はまんまと税関にも引っかかってしまうのである。

なんだか良くわからないが全荷物検査の模様だ。

とりあえず税関の係りに呼ばれて、

「武器は持っているか?」

と聞かれたときは既にもう諦めモード。
初めての「ウェポン」という言葉に、
どーにでもしてくれ、さっさと調べんかい。となる。

係りの人は全部の荷物をひっくり返し、
丹念に一つ一つ調べていった。

呆れはしたが、
これもまたイスラエルの現状なのだと思った。

それほど恐れなくては自分の国を守れない。
敵だらけの国。それがイスラエルなのだと思った。


30分後。

ようやく開放され、別紙スタンプは回収されて
無事にイスラエルへの入国を果たしたのであった。

29カ国目イスラエル、ようやく入国!だ。


待ちぼうけしていたマサミに誤り、
乗り合いタクシーのチケットを買ってエルサレムへと向かった。


戦時中のイスラエル。と緊張していたが、
車の中からは特に物々しい様子はうかがえず、
ヨルダンと同じように砂漠のような景色が広がっている。
途中、ラクダの姿が見えるところなんて中東そのものだ。
やはりこの国は中東とも密接に繋がっている。

1時間も走ると町らしき姿が見えて、
エルサレムのダマスカス門の前へとたどり着いた。

たどり着いたこの辺りはイスラム系の地区らしく、
通りを歩く女性はみなスカーフを巻いている。

通りには多くの軍人がライフルを持ち、
あたりを警戒している。

これは戦争のせいなのだろうか、
それとも3つの宗教の聖地という特別な場所なのだからだろうか。
良くはわからないが、
軍服を着たイスラエル人たちは、
それほど緊張した面持ちではなく、
リラックスした様子に見えた。
それは今、自分が戦場にいないという幸運からなのかもしれない。



エルサレムに着いたものの、地図があるわけでもない。
行けば何とかなるさと思い、
宿の名前ぐらいしか覚えてこなかったが、
これがかなり間違いで、エルサレムの迷路の中に迷いこんでしまった。


エルサレムの旧市街は、
中世の雰囲気をそのまま残した町で、
ぐねぐねと曲がる細い路地が縦横無尽に走りぬけ、
さらにその頭の上をレンガでできた橋がかけられる。

そのため、歩いても歩いても、
目印になるようなものがなく、
さらには自分が旧市街のどこにいるのか、
方向感覚も失われていく。

だがしかし、
僕はこの町をひと目で気に入ってしまった。

どこにもないこの町の雰囲気をどう表せば良いのだろう。

どこを見ても絵になる中世の町並み。
そこにガヤガヤと市場が並び人々が行き交う。

映画のセットのようなこの町に、
迷いながらもすっかり魅了されていた。


どうにか迷いながらたどり着いた宿に腰を落ち着けると、
特にやることもないので、洗濯をしたりとゆっくりと初日を過ごした。

しかしここエルサレムはいたって平和だ。

戦争の匂いなどくすりともしない。
中東の町で見た毎日のように流される悲惨な映像と
この場所の現実に違和感を覚えた。



お腹も空いたのでイスラエルの料理でも食べようと、
ダマスカス門を出て近くのレストランを物色した。

イスラエルは物価が高く、
観光客料金の旧市街のレストランでは
ヨーロッパ並みの食費がかかってしまう。

観光客向けのパスタやステーキには興味はないし、
現地の料理のほうが安くて興味深いことが多い。
それでなるべく現地のレストランを探して食べているのだが、
エルサレムではそれも中々見つからない。
ここもまた中東のように外食文化がないところなのかもしれない。


ようやく見つけた一軒のレストランで、
注文をしようとメニューを見る。

看板に乗っていた料理がなかったので、

「イスラエル料理が食べたいのだけれど、イスラエル料理はないの?」

とオーナーらしき店員に聞いた。
特に何か意味を込めた訳ではない。


「ここはパレスチナ料理の店だ。イスラエルが好きなのか。
それならここにはない。別の店に行け」

それが彼の答えだった。

驚いた。ここはイスラエルだろ。
だからこの土地の料理を食べたいと言っただけなのに。


でもこれが現実だった。

イスラエルという国に属していながら
パレスチナ人という歴史を捨てずに生きる人々。
というよりもその強制的な押し付けを
受け入れることなく生きる人々と言うべきか。

もちろんそれはサービスという意味では、
あってはならないことなのだろうけれど、
そんなことを吹き飛ばしてしまうぐらいの怒りを感じた。



僕はイスラエルという国に来たつもりでいた。

それは間違っているのかもしれない。

国境という檻の中に閉じ込められた、
たくさんの顔を持つ人々。

ある人にとってはイスラエルという国が大きな意味を持ち、
ある人にとってはそれがお仕着せの偽名でしかない。

そんな場所に僕は来ていることを思い知った。

それはとても幸運なことだったのかもしれない。
ただ通り過ぎるだけならば、
美しい歴史的な町並みを思い出すだけの町になっていただろう。


僕はしっかりと目を開かなくてはならない。

僕はしっかりと耳を傾けなくてはならない。



この国はきっとそういう場所だ。


そしてこの国をなにか伝えることができたら。


それがこの旅にひとつ意味を与えるかもしれない。




夕方6時にもなればバタバタと店は閉まり、
あっと言う間に町は静まりかえった。

宿のキッチンで久しぶりに自炊をして、
今日の出来事を語り合った。

今日の特別な出来事は、
きっと忘れることはないだろう。


彼らの現実は明日も、またその次の日も続いていくのだ。

中東和平なんていう他人事がいま僕の目の前に生きていた。

2009年1月2日金曜日

世界一周(28)ヨルダン/優しさがそこにはあり







DATE:2009/01/02 Jordan - Amman -


今日はイスラエルへ行こう。

というつもりだったが朝起きたら、
なんだかそれも面倒になり正月休みと決め付けて、
一日ゆっくりと過ごすことにした。

1年中休みのようなものだから、
正月休みも土日もないのだろうけれども、
せめてそれぐらいは新年気分をね、というグータラ根性だ。



イスラエルの情勢は良くなっているわけではないが、
何人かのイスラエル帰国組みに聞いたところ、
エルサレムなどのガザから遠い地域は特に問題なく観光ができるようだ。
危険がないわけではないが、
なかなかこれる場所でもないのでイスラエルに行くことを決めた。

イスラエルの出入国にはいろいろとめんどくさいところがあり、
イスラエルのスタンプがあると入国を許してくれない、
シリアやレバノンなどのアラブ諸国に対応するため、
必ず入国管理官の前で「別紙にスタンプを押してください」と言う必要がある。

そうすればパスポートにはその痕跡が残らず、
無事にほかのアラブ諸国も回れるという寸法だが、
もちろんイスラエル側がいい顔をするわけもなく、
ネチネチと父親の名前や職業など、
どうでもいいことを嫌がらせのように聞かれるという噂だ。
長い人になると1時間以上も質問がされるということだから、
けっこう真剣にめんどくさい。

こんなことやってるから世界各国の人に嫌われるのだ、
とイスラエルのことを非難したくもなるが、
彼らの言いたいこともわかるので、
それはお邪魔する立場として受け入れるしかない。


そうそう。
イスラエルという国は、世界各国で良い評判を聞かない。

それは兵役が終わってから旅をする多くのイスラエル人の傲慢な態度だったり、
イスラエル自体のパレスチナ人に対する態度だったりするのだろうが、
自分自身は旅で出会ったイスラエル人に嫌な思いをしたことはなく、
まぁ確かに強そうな人たちだけれど悪いやつ等だとは思っていない。

そんなわけでイスラエルとはどんなものぞな。

という興味はかなりあるわけで、
戦争中という非常事態にも関わらず行ってみる事にしたのであった。



正月休み。と銘打ってみたものの、
正月番組がやってるでもなく、正月セールが始まってるわけでもないので、
何にもないアンマンの町ではやることもない。

ただ中東の料理にも飽きてきていたので中華でも食べようと、
町歩きをかねてうろうろとしてみることにした。


しかし驚くほどアンマンには何もない。

普通ならば首都といえば何か観光地らしきものがあったりするが、
アンマンは本当に何にもないのだから驚く。

町を歩いていてもこれと言って特別なところはなく、
中東に初めて訪れたならともかく、
エジプトから半月もたってしまった今、
驚くべきものはそう多くはなかった。

食べ物もまたレパートリーが少なく、
ファラフェルと呼ばれるコロッケ入りのサンドイッチか、
羊や鶏肉のケバブ、あとは甘そうな砂糖漬けのお菓子たち。そんなものしかない。

外食をあまりしない文化だというから、
きっと家庭ではまた違ったレパートリーがあるのだろう。
それが見えないのが少し残念だ。


アンマンの町は谷のようなところに作られていて、
試しに丘の上に続く階段を上ってみるとなんと500段以上もあり、
たどり着いたときにはへろへろになってしまうのであった。

その丘を下ったり登ったりしていると大きな青空マーケットのようなところに出た。

洋服から野菜、人形や文房具までなんでもありの市場は、
たくさんの人でごった返している。

イスラム式のおしゃれとは見事なもので、
頭にかぶるスカーフをさまざまな形で結び美しさを引き出している。
中にはサングラスをかけたおしゃれな女性もいて、
その黒い衣服とのギャップに少しドキドキもする。

果物屋ではナツメヤシのシロップ漬けらしきものを興味深く見ていたら、
店のおじさんが1つくれて、その意外においしい中東のお菓子を味わった。
おじさんはパレスチナ人で、やはりこの人たちはいい人だ。


散歩しても中華料理の店が見つからなかったので、
あきらめて宿に戻り置いてあるガイドブックを片っ端から読んで、
ようやく見つけた中華料理の店を目指すことにした。

散歩した側とは反対側にある丘の上にある中華料理の店の周りは、
閑静な高級住宅街でおしゃれなバーなんかもあったりする。

念願の中華料理はたどり着いたが閉店前で、
メニューをもらって夜にまた食べに来ることに決めた。


そのまま静かな丘の上を歩いていると、
頭上の上をたくさんのハトが舞っていることに気づいた。

それを写真に撮っていると、
一人のおじさんが声をかけてきてこっちへ来いという。

入り口の鍵を開けてもらい二階に上がると、
そこはたくさんのハト小屋が建つハトおじさんの屋上だった。

言葉が通じなかったので正確にはわからないが、
おそらくはレース用のハトだろう。

気が付けば向こうの丘からもたくさんのハトが飛んでいた。


ハトはきちんと芸を仕込まれていて、
おじさんが声をかけると、なんとおじさんの頭にとまってしまった。

おじさんが同じようにしろ、というのでやってみると、
なんと僕の頭の上にもとまった。

一羽だけ違う羽をした特殊なハトだったが、
その頭の良さとおじさんとの親密さに心が温かくなった。

コーヒーを出してもらったりハトを見たりで、
しばらく長居をしてからおじさんとお別れをした。


ヨルダンは何もない国だと思っていた。

ただこの国の人々の優しさは特別なのかもしれない。

サメールという優しいと有名なホテルの従業員も、
なんとなく単にそれはヨルダン人の優しさなのではないかと思った。

エジプト人のように気さくではない彼らのその本質に僕らは今日まで気づかずにいた。
面白みのない特別ではない人たちだと思っていた。

誤りだった。
それは日本人と同じようにシャイで優しい人々が誤解された姿だった。


ヨルダン人は何も特別じゃないけれど、
その素朴な優しさは僕らの心にそっと入ってくれた。

今日、イスラエルに出発してしまえば気づかなかった本質に、
なにか特別な思いを感じた。

必要なときに必要なものを用意してくれる。
神様なんてものはいるかいないか知らないが、
今日の偶然は僕らにとって宝物になった。



夜中、最高に美味な酸辣湯と、最低に不味いピラフのような炒飯を食べて宿に戻った。


いよいよ明日はイスラエル。

聖地でもあり、そして戦地でもある。

深い歴史の中に今も生きるその場所に僕は訪れようとしている。

2009年1月1日木曜日

世界一周(28)ヨルダン/ある元旦の浮上







DATE:2009/01/01 Jordan - Amman -


明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。


なんて言葉が白々しく聞こえるほど、
一日明けた新年の今日もアンマンはつつがなく平日をこなしている。

ここまで来ると開き直ることしかできず、
こちらも新年を無視して観光をしてやることにした。


そうだ、死海へ行こう。

そう決めた。

考えてみれば元旦に死海で水泳なんて粋な企画ではないか。
年初め「寒中水泳大会 in 死海」
企画としては良くできている。


どうやらこの寒々しい新年を盛り上げようと考えていたのは、
自分たちだけではないらしくあっという間に、
死海ツアーの参加者が集まり、
計8人での日本人だらけのツアーが始まった。

こういうときは日本人が集まる日本人宿も悪くない。
結局のところ日本人のお正月という感覚は日本人にしかわからないのだから。


ツアーといっても単にタクシーをチャーターして、
死海まで行って戻ってくるという簡単なものだが、
意気揚々と2台のタクシーに分乗し死海まで向かった。


死海といえば海に浮きながらの読書ができて、
恐ろしくしょっぱくて、生き物がいない地球の神秘。

想像力のせいなのか情報の少なさのせいなのか、
そんな貧弱なことしか思いつかないがきっと行けばわかる。
なんだか素敵なことが待っていそうな予感がした。


タクシーを飛ばして町を出る。
小高い丘や谷を上り下りしてめまぐるしく変わる景色の中を、
のんびりとシートから眺める。
1時間ほど走り、砂漠のような砂の山が広がる地域を抜けると、
目の前に湖のような死海の姿が見えてきた。


死海へ到着すると、
そこが意外にもリゾート地化された場所であることに驚く。
死海の浜辺には日差しよけのパラソルが何本も立てられ、
そのそばにはシャワー室なども付いている。

なにやら無料で入れる死海もあるらしいが、
たどり着いたのは有料のリゾート地で、
入場料を払って死海への入り口へと足を踏み入れた。


いつの間にか水着をなくしてしまったため、
ダハブからパンツダイバーの称号を得てしまったが、
まだ水着を買っていなかったため死海もパンツで泳ぐことにした。
寒中水泳大会なんてふんどしでやるもんなんだから、
大して変わらないだろう。

水着に着替えた一同とパンツ1名は、
死海のビーチに並んだ。

少し肌寒い気温に一同、しり込みをする。

いくら日本よりは暖かいとは言え、
ヨルダンだって1月なのだ。Tシャツ一枚では肌寒い気候。
午後の2時ごろだと言っても水温もやはり暖かくはないだろう。

もう1月だからか人の姿もまばらで、
泳いでいる人など数えるほどしかいない。
それがまた僕らをまたしり込みさせた。



それにしても死海は思っていた以上にきれいなところだ。

太陽を反射してキラキラときらめいている。
ぱっと見ただけでも水の透明度も高いことがわかる。
生き物がいない海だからこそ、不純物が混ざることがないからかもしれない。


さぁ、行きますか。

いつまでも立ちすくんではいられない。
手始めに死海の水を少し舐めてみる。




うぉぇ。。苦い・・・。


しょっぱいを通り越してもう苦いニガイ。
水うち際には塩の結晶ができていて、
歩くとそれがとげのある岩の上を歩いているようで少し痛い。

しかしここを超えなくては寒中水泳大会にはならぬのだ。


いざ!!!


一歩一歩足を進める。

一歩。一歩。一歩。


・・・なんじゃこりゃ。


歩いているだけで今まで味わったことのない違和感を感じる。

もう一歩。もう一歩。



!!!!!!!


浮いてるぅ!!!!!!!



いや、ホントまじで浮く。浮いてるのだ。

話には聞いていたが自分でやってみると、
その感覚が異様過ぎて笑えてくる。

どんなに動いても沈まない。
むしろ沈もうと泳いでみても体が浮いてしまい一向に泳ぐことはできないのだ。

しかもさらに面白いことに海を歩けるのだ。

忍者のように。とは行かないが、
死海の中を普通に歩くようにすると、
体が垂直のまますいすいと進んでいく。

・・・やばい、ここウケル。


やってることは馬鹿みたいだが、
この馬鹿らしさが新年らしくてみなで大いに盛り上がる。

仰向けになってみたりうつ伏せになってみたり、と
さまざまなポーズを楽しみながら海の上でぷかぷかする。


ぷかぷか。ぷかぷか。ぷかぷか。

たまに人を押してみたりすると、
スーパーマンのようにビューンと飛んでいく。


ぷかぷか。ぷかぷか。ぷかぷか。

海の上を歩くのが楽しくてみなで行進を始める。


ぷかぷか。ぷかぷか。ぷかぷか。


突然、「ギャー!!!」という悲鳴が上がった。

何事かと見てみると一人の目に死海の水が入ったらしい。
その姿見るも無残な・・・。

どうやら死海は楽しいだけの場所ではないことを知る。
が、それでもみなはぷかぷかを続けたのであった。


対岸にはイスラエルの土地が見える。

あの先では戦争が起きている。
この平和な死海と、目に見えないその死の現実が、
なんとも言えずアンマッチな印象を受けた。

それでも人は死んでいる。
死海の空を飛ぶ飛行機。それは偵察機のものだったのかもしれない。

ぷかぷか。ぷかぷか。ぷかぷか。

それでも僕らは浮かび続けた。
それがこの場所で唯一正しいお作法である気がした。







2009年の幕開けはそんな感じだった。

新年寒中水泳大会で死海に浮かぶなんてアホな企画も、
それはそれでおもしろかった。

何よりもたくさん笑った気がした。
死海の平和なあほらしさが新年を祝うにはぴったりな気がした。



夜は昨日の残りのシャンパンを明けて新年を祝った。



HAPPY NEW YEAR!!!!

さて今年は何が起こるやら。旅はまだ続く。