2008年7月10日木曜日

世界一周 in (9)中国/夜10時。忍び寄る影!







DATE:2008/07/10 China - Luoyang -



夜10時。



なにやら部屋のドアをたたく音がする。

何よ?こんな時間にと不承不承ドアを開く。
そこにはホテルのスタッフらしい、
一人のおばちゃんが仁王立ちして何やらまくし立てている。

「☆○■☆×■×☆○■!!!!!!」


まったくわからん。



たまにあるように中国小娘でもお勧めされているのだろうか。
それにしてはなんだか、様子がおかしいなんだか相当あせっているのだ。
おばちゃん必死に何かを伝えようとするが、ぜんぜんわからない。

何やらノートを出せというので、ペンと紙を渡すと、
それに感じで何か書いてくれる。

うーーーん、やっぱりわからん。


泣き出しそうなおばちゃん。
よくわからんが困っているようだ。

そうこうしているうちに、そのおばちゃんはどこか行ってしまう。

なんじゃろね。と良くわからなかったが、
そのままベッドの上でお休みモードに入る。



すると、またもやドアをノックする音が。


なんじゃい!

と、ドアを開けると新メンバーが追加されている。
新メンバーの二人めもノートに何か書いてくれる。



身分証。




ん?なんだか良くわからんが、あるよ。とパスポートを差し出す。

「☆○■☆×■×☆○■!!!!!!」

と、またおばちゃんがわめく。いや、わかんないから・・・。
でも何だか言ってることが何となくわかってくる。
どうやら之じゃない身分証はないのと言ってるらしい。


没有(ないよ)。と言う。

顔を見合わせる二人。
なんだかまずい状態らしい。


ノートを取り出してさらに何か書き出す。


「☆○■☆×■×☆○■下楼!!!」



え???

下の階に下りろだと???


なんだかわからんが必死なおばちゃん二人。

新手の盗みの方法かしら、と貴重品だけとりあえずまとめる。
僕が下に降りている間に部屋に入られたりしたら大変だ。
しかしこんな強引な盗みなどあるかしらね、とやっぱり何が起きてるかがわからない。

そうしてる間にも、おばちゃん焦る×2。
なにやらしきりに下の階を気にしている。

早くしなさいよ!そんなものいいから!
と言ってるのが何となくわかる。





ん?


もしや。




すこし思い当たる節があったので、ノートに書いて聞いてみる。




「来公安?」(警察来たの?)




おばちゃん大きくうなずく。



これか!!!!


そうとわかっては、やばいと僕も急いで準備をして下の階に下りる。
通常の入り口は既に公安の人たちが来てしまっているようなので、
奥の非常口の方から出るようにと指示され、
寝巻き姿のまま外まで逃げ出す。


危ねー。まさか本当にこれに当たるとは。



実は中国の宿泊施設は、外国人が泊まれるところと泊まれないところがある。


そう、僕はいつの間にか外国人が泊まれないところに宿泊していたのである。
時折、公安の抜き打ち検査的なものがあるらしいと聞いていたが、まさか本当に当たるとは。
つーか泊まる前に何か言えよホテルの方々。

一般的に安い宿を探すと中国人専用的なところに当たることが多い。
断られることも良くあり中国での宿探しはけっこう大変だったりする。

一般的なバックパッカーは、
そんなわけもありユースホステルに泊まったりするのだが、
ユースホステルは外国人向けと言うこともあり値段の割には施設はいまいちだったりもする。
それに駅やバスターミナルから遠いところが多く、結構不便。

と言うわけで、けっこう好き好んで着いた場所の近くの適当な宿泊施設に入ってるのだが、
幸か不幸か知らずに今回は外国人NGのところに入ってしまっていたようである。

ちなみに公安に見つかるとどうなるかと言うと、
ホテル側に罰金が科せられ、当然のごとく宿泊者は別の宿を探さなくてはならない。
このケースの場合、深夜10時から宿探しという過酷を強いられることになっていた。

ちなみに罰金額は50元以上500元未満の罰金だそうで。


中国の宿泊施設はいろいろ面白くて、
未婚のカップルが同時に同じ部屋にいるのが違法だったりする。

夜中、美人局のおばちゃんがやってきて女性を紹介した後、
偽公安がやってきて賄賂を要求するなんて詐欺もあるぐらい。
売春が悪いのか、同居がまずいのかがいまいち不明だが。。

とはいえ、なぜかラブホテルらしき休憩用ホテルとか、
怪しげなピンクホテルもあったりもする。
なにやら中国人はOKとかローカルルールがあったりなかったりするらしい。
その辺も人治国家らしいご様子だ。


というわけで、中国での宿探しは結構苦労する。
断られた宿でどこなら良いのかを聞いてみたり、タクシーの人に連れてってもらったり。

今回は断られもしなかったけど、駄目だったというケース。
今までOK!と言っていたところも、きっと駄目な所もあったんだろうなぁw


洛陽の駅前は何にもない。
20分ぐらいしてから戻って来いとのことだったので、
とりあえず短パン+タンクトップの寝巻きのままふらふらとする。

宿のすぐ近くで、朝来たときに知り合った客引きのおばちゃんたちと混じり、
あれこれと会話をしているうちに時間が過ぎる。

宿に戻るとめっちゃ笑顔でお出迎え。
なんだかお互い共犯者のような連帯感。
・・・いや、僕は別にわるいことしようとしたわけでは。。



無事、寝床に着く。なんだか眠れなくなってしまったのだが。


あ、そういえば洛陽という町に着きました、ハイ。
ここには龍門石窟という、中国三大石窟がありまして、
岩山の中にボコボコと空いた穴の中の彫刻がすごいのであります。


そういえば、
西安から洛陽への移動のときに、
「無座」の席で4時間移動したっていうネタも公安にかき消されたなぁw
電車一本乗り過ごしたっていう大技もあったのに・・・。


・・・さて、ビールでも飲んで寝るか。

2008年7月9日水曜日

世界一周 in (9)中国/兵馬俑







DATE:2008/07/09 China - Xian -


ずらりと並んだ人体像。
素焼きでできたその土茶色の兵隊は一直線にまっすぐに並んでいる。
一つとして同じ顔のないそれは、列の後方になると体の一部がかけていきついには崩壊する。

体育館のような建物の中に閉じ込められた兵隊達。
なんだかそれは小学校の全校集会を思わせてこっけいではあるのだけれど。

生気のない表情。しかしその顔はリアルだ。
崩れた体が地面から突き出すように露出している。


殺人現場。


その生々しさはその言葉がぴったりな気がした。
千年以上も前の死体たち。彼らは何を語るだろう。



秦の始皇帝が建設を命じたという兵馬俑は、
1500年以上も前に作られた歴史的な遺産だ。

それまでは実際に人が人柱として
王の墓に生きたまま埋葬されたというから、
貴重な人材を失わないためにも大きな革命であったのだろう。

兵馬俑は近郊にある秦始皇帝陵の一部としての位置づけらしい。
そこを守る兵隊。宮廷の踊り子や仕官たち。
それら生前の生活をあの世にも持ち込もうと作られたらしい。
秦始皇陵の地下には宮殿が存在し、
近くには水銀の河が流れていたというからもの凄い。

建設は13歳で始皇帝が即位したときから始まり、
死んでからも作られ続けた。
相当の数の人間がその建設に関わったのだろうが、
その殆どが王に逆らった犯罪者だったというから面白い。
万里の長城の建設などもこの人の手によるものだが、
秦自体はこの過大な使役労働に反発した人民に滅ぼされたというのだから、
王墓建設とは国の命運がかかっていたと言える。

この王墓建設によって国が滅びたという話は、
意外とよく聞く話。
しかし13歳にして死を恐れた始皇帝の心情はどんなものだったのだろう。
単におバカな側近に言いくるめられたのかもしれないけれど。



兵馬俑の後に秦始皇帝陵にも行ってみる。
ここは既に三国志で有名な関羽によって地下宮殿の破壊、
財宝の奪取がされてしまっているため単なる小さな小山。

10分ほどで頂上まで登り降りてくる。
ついでなので、その小山のまわりもぐるりと回る。

そこには管理されていない草ぼうぼうの公園が広がっているw




なんとなく中国の観光地料金が高い理由が見えてきた。

要は日本で言うと過剰投資による不採算の公共施設なのである。
中国の観光施設は。

無駄に広い敷地。そこに広がる意味のない公園。
そして真新しいビジターセンターと、中身のない博物館。
自動なのに、その後に人間がスタンプを押す意味のない入場者管理システム。
近隣に暮らす人々への過大な援助。


圧倒的な過剰投資がそこには見える。
そしてそれが高い入場料へと変わる。

そして恐らくは作ることが目的でメンテナンスはされていない。

現に兵馬俑出口近くの大規模なショッピングセンターらしき建物は、
100件近く入る店舗施設に2件ほどしか入っていなかった。
秦始皇帝陵の資料館など電気すらついていないのだから。


この辺は恐らく中国の政治システムによるものだろう。
一党独裁政治。そして社会主義。
その中央集権的なシステムは、一部に汚職を生みやすい。

日本と同じように、観光地の整備のためと過大な予算を請求し
それを一部搾取、もしくはつながりのある業者への斡旋としているのであろう。

それが入場料5000円というアホみたいな価格に繋がるのである。


なんとなく国民性というのもある気がする。
清貧を良しとする日本。
成金主義の中国。

使うときは使う。その潔い国民性が、そういった過剰な投資を生んでいる気もする。
観光だけではない。町中のいたるところでその片鱗は見える。


この国がそれに気づくようになるまで何年かかるだろう。
成長が続いている現在では気にもしないそれが、
日本のようにバブルがはじけた瞬間にツケへと変わり、政治責任へと変わる。

オリンピック後。万博後。
この国のバブルははじけると言われている。
今はチキンレースの状態。いつ逃げるかをみな思う。


その混乱が始まったとき、
中国はまた次の段階に進むのかもしれないな。
政党の変更か、社会主義の崩壊か。

なんにせよ、この国が飽きないのは本当。
国民性といい、国の治め方といい。
混ざらない国というイメージがなんだか強い。この国は。


1500年も眠り続けた兵隊達。
彼らは今のこの国に何を思うのだろう。


あんまり変わんねーな。


なのかもしれないけどねw

2008年7月8日火曜日

世界一周 in (9)中国/一千五百年前の旅人







DATE:2008/07/08 China - Xian -


ここに来て完璧にカメラが壊れた。

騙し騙し2ヶ月あまり。
九寨溝までは何とか持ってくれたことに感謝をすべきかもしれない。

最初からたまに起動しない初期不良だったのだが、
10回に1回程度だったエラーが2回に一回になり、
1ヶ月ほど前には逆に100回に1回起動するというエラー率。
なので一度起動したら電池が切れるまで持ち歩くという強攻策で写真を撮っていた。

ここ最近ではさらに悪化してズームもピンと合わせも手動という、
コンパクトデジカメにあるまじき機動性w

北京には友達が住んでいるので、
そこに同じ機種を送ってもらうことにしていたので、
まぁ、ぎりぎりのところで壊れたというところ。
願わくばもう少しだけという気持ちもないわけではないが。


というわけで西安に到着。今日からは携帯のカメラのみで歩き回る。

旅に出る前にデジカメすら持っていなかった人間なのだが、
この旅でけっこうカメラの面白さに気づく。
感じた瞬間にカメラを回していたので、それが無いのはちょっと不満。
思った絵が取れないのはけっこうストレスとなる。

なのだが、そのカメラに結構振り回されていることにも気づく。
カメラがなくなってから、なんだか気が軽くなった気もする。
昔はそういやこういう旅の仕方をしてたっけ。

どちらが良いとは言えないけれど。


列車の到着時間が早ければ、
そのまま兵馬俑という世界遺産を見学しに行こうと思っていたのだけれど、
到着したのは午後1時。
それから行っても急ぎ足になるから、ということで、
町の近郊にある大雁塔を見に行くことに。

大雁塔は三蔵法師が天竺を回って手に入れた書物の翻訳に取り組んだ場所らしい。
そんなに大きな観光地ではないのだが、観光客は意外と多い。
そして欧米人がここに来て増えだす。
雲南省や四川省にいなかったのは地震の影響か、それとも英語の理解率の低さか。
ただしバックパッカーというよりはツアー客が多い。


三蔵法師の歴史をたどると、彼もまた旅人であったことがわかる。

その距離5万キロ。
彼はこの西安の都からウルムチのウイグル地区を抜けてインドまで旅をする。
その後、インドからチベット自治区のラサなどを通り帰って来た。

おそらく僕はそれ以上の距離を移動するのだろうが、
彼は全て馬と自分の足を使っての移動だ。
僕にはその道のりを想像することができない。



旅というものはその時代の変化を如実に吸収するものらしい。

1500年前、三蔵法師のような旅人は馬と自分の足を使って旅をしていた。
100年前、それに列車という手段が加わり、さらに飛行機が生まれ、飛躍的に旅の距離が伸びた。
そして現在、さらに車という手段が加わり、細部まで行き届く旅ができるようになった。

僕の世界一周という旅だって今では、
単にお金と時間があればできるものだが、
たった20年前でさえそれは困難なものだった。


さらに旅には情報が不可欠だ。

沢木耕太郎の深夜特急の時代、旅人は口コミで情報を伝えていった。
情報を得る手段は現地の人に聞くか、旅人に聞くかその2つしかなかったのだ。

いまではガイドブックが出来上がり、
ほとんどの都市や行程を網羅している。


そして今、インターネットが生まれた。

これによる旅のスタイルの変化は相当なものだったのだと思う。
その証拠に旅人が泊まるホテルには、インターネット端末が置かれ、
旅人はそれに向かって一心不乱に問いかけている。

情報の質という意味では格段に向上している気がする。
インターネットの情報がいかに不透明かとは言え、
今までの口コミ+ガイドブックの過去の情報よりは格段に信用できることが多い。

旅人はガイドブックは目的地探し。
インターネットは行き方やホテルなどを探すために利用している。

また旅人は一期一会という常識も、メールの普及により失われつつある。
一度会った旅人は気のあった友人達とアドレスを交換し交流を続ける。




5年前の姿とはまったく違う旅がそこにはある。

もちろん弊害は多くあるだろう。

例えば日本人の旅行が揶揄されるとおり「旅」が、
掲載されている写真や情報の「確認」のためになってしまう。
情報が多いほど、事前にイメージが固まってしまい感動は薄れるかもしれない。

旅人のコミュニケーションも薄くなるだろう。
以前は情報を得ることが「必須」だった。
それが自分の旅に必要だったからだ。
今ではそれがインターネットで手に入る。
その分、そのためのコミュニケーションが減り、きっかけが減る。
5年前、10年前のホテルのロビーはどんなだったのだろう。
今のスタイルを辞められる気はしないがうらやましくもある。


いつの間にか自分の世界は変わっているようだ。
望む望まずに関わらず。



三蔵法師の話に戻る。

彼の旅はどのようなものだったのだろう。
暗い山道を一人で歩く。真っ暗な森の中、一人焚き火をする。
時には雨に降られ木の下で何時間も雨宿りをする。

彼の目に世界はどう映っていたのだろうか。
たどり着いたその地で何を思ったのだろうか。


歴史の中で眠っていた人物が僕の中でいま動いている。

歴史。それを中国の土地は深く感じさせる。
この西安の町も昔は長安と呼ばれ、三国志の舞台にもなっていた。

今も城壁で取り込まれたこの町は深い歴史の中で呼吸している。


明日は兵馬俑。ここもまた歴史の一場面であった場所ある。

2008年7月7日月曜日

世界一周 in (9)中国/知らない町で







DATE:2008/07/07 China - Mianyang -


今日は朝から西安へ移動。
九寨溝からは一度、綿陽という場所へバスで出てから、
西安行きの列車に乗り換える行程だ。
西安に着くのはおそらく明日の朝だろう。
トータルすると24時間以上の長い旅になる。


帰り道もやはり地震の震源地帯を通っていく。
あいもかわらず、瓦礫が広がり、その中を人が生きていた。
復興とは劇的なものではなく、一日一日の積み重ねで再生していくものなのだろう。

1年か2年か。それとも10年かかるのか。
気の遠くなるような時間も、人類の歴史からすると一瞬でしかないのかもしれない。


朝8時に出発したバスは15時ごろ、綿陽へたどり着いた。

すぐさまバスターミナルから列車の駅へと移動しチケットを購入する。
ラッキーなことに西安までの寝台列車のチケットを手に入れることができた。


中国の列車事情。これは日本とはまったく異なる。

そもそも1日に一本や二本しか走っていない列車。
日本のように思いついた時間にすぐさま乗れるようなものではない。
また基本的には全て長距離列車。
次の駅まで200キロなんてのはざら。4時間ぐらい止まらないことも良くある。
短距離の移動にはバス。そういった使い分けがされているようだ。

ただし中国の道自体は快適とは言い辛い。
特に山間部を通るものが多い雲南省や四川省では、
圧倒的に列車の快適さが勝り、かかる時間も少ない。

そんなわけで駅の切符売り場では常に長蛇の列ができている。


切符の種類には寝台硬、寝台軟、硬座、軟座の4種類がある。
その名の通り寝台と座る席、そして硬いものとソファーのようなもので分かれている。
切符は全席指定。窓口で事前に買い求めなければならない。
そして、席がなくなると「無座」と呼ばれる、立ち席の切符が売られる。

どうやら列車のシステムがいまいちらしく、
基本的には始発駅でない限り寝台などのチケットは手に入らない。
なんとなく始発駅以外の切符の枚数が制限されている気がする。
売り手とすれば途中駅から購入されるより、始発からのほうが売り上げが上がるので
まぁわからないでもない。

そんなわけでその少ない切符を手に入れるために、
切符売り場は大混雑するわけである。

別に複雑な作業をしているわけでもないので自動化すればよいのにとは思うものの、
確実に機械のほうが人間より高い中国事情。それは難しいのかもしれない。


その駅自体の待合室にもあふれんばかりの人だかりだ。
指定席なのになぜ?と思うのだが、
どうやら無座の人のポジション争いと大量の荷物の置き場所を確保するためらしい。
2時間ぐらい前から待合室にいる人も結構いる。
けっこう広いはずの待合室に、入りきらない人が外にあふれていたりするからすごい。

そもそも中国の列車の改札はなぜか10分ぐらい前にならないと始まらない。
10分前にやっと始まり皆がどっと改札に押し寄せる。
そこからさらにホームに移動するから列の最後に並んだ人は、
発車のベルが鳴り響くホームをダッシュで駆け抜ければならない。
自殺の防止でもしてるのだろうか?なんだか良くわからないシステムだ。

列車の中はどうなのかというと、これはかなり快適。
寝台も広いとは言えないが、まぁぐっすり寝れるだけのスペースはある。
そして車内にはなぜか給湯器。皆がこぞってカップラーメンを食べるのである。
車内は雑誌を読む人やカードゲームをする人。おしゃべりをする人で和やかな雰囲気だ。


というわけで。
そんな過酷な競争を勝ち抜き寝台チケットを手に入れたわけだが、
出発時間は夜の22時。まだまだ時間がある。

荷物を預かり所に預けて町を散歩することにする。
昨日ネットで調べたところどうやら綿陽は三国志ゆかりの地らしい。
まぁ、町を歩けば何か見つかるさと適当なバスに乗り込んでみる。


綿陽の町。なぜかここはお洒落な子が多い。

成都は美人が多い。
そう聞いていて少し期待していたのだが、期待はずれであった。(少しね。少し。。)

その成都から100キロほど離れた綿陽の町は、
なぜだろうそれほど大きな町でもないのだがお洒落な人々が町を歩いている。

観光名所らしきところはまったく見つからない。
ついでに寄った町なのでそれは良しとしよう。


綿陽の町並み。

町の中心の近くの公園では何やら紙を持った人たちがしきりに声を掛けている。
なんだろうと見てみると「家教」とな。
書いている文字を見るとどうやら家庭教師のようす。
学生がアルバイト探しでもしているのだろうが、変な一画だった。

歩いていると広場に出る。
なぜかそこはお爺ちゃんであふれているw

そのお爺ちゃんをターゲットにしているのか、
それとも逆に彼らを目当てにお爺ちゃんが集まるのかはわからないが、
白衣姿の医者のような人々が簡易診察のようなものをしている。
広場で診察。なんだかほのぼのな光景。

その横では大音量でカラオケを歌う一人の男性。
ポータブルDVDのカラオケセットまで用意しているから本格的なもんだ。
しかしながら笑えるぐらいに音痴なのは、わざとだろうか。

広場の端には川が流れている。
そこにはなぜかでかい牛の彫刻がある。
幅5メートルはあるだろうか。なぜそれがそこにあるのかはわからない。
なんだか不思議な公園だった。


町をふらついているといつの間にか迷子になる。
別に目的地もないので迷子ではないのだが、場所がよくわからない。
最終的には駅に帰れれば良いので、近くのバス停で駅まで行くこと確認しふらふらし続ける。
1時間ほどふらつくとやっと見覚えのある場所にたどり着く。
最初の公園の場所だった。
なんだか余程遠くの方までいってしまっていたらしい。
先ほど確認したバス停は駅からのバスの最終地点近くだった。

ちなみに夜の公園では真っ暗闇の中ジェットコースターが走り回る。
スリルという意味では上がるのかなぁ、全てスペースマウンテン化するだろうけれど。


駅まで戻り、無事に列車へと乗り込む。

四川省は今日で最後。
そう言えば坦坦面を最後にもう一度食べるのを忘れていた。心残り・・・。

パンダ、地震、九寨溝さようなら。

さて次は陝西省へ!

2008年7月6日日曜日

世界一周 in (9)中国/また会いましょう







DATE:2008/07/06 China - Jiuzhaigou -


金持ちおじ様に誘われて、
今日は九寨溝の神仙池風景区という場所と、
昨日今日とお世話になっているチベット族のドライバーの好意で、
彼の住む村を訪問することに。
ちなみにキチンとコストはシェア。あしからず。

今日もまれに見る晴天。
天気の良い時の九寨溝も見てみたかったため少し迷ったが、
神仙池風景区はなかなかいけない場所、さらにチベット族の町なんて。
晴天の中の九寨溝は次回に預けるとして今日はレアな観光地を廻ることに。




神仙池。

マイナーなようだが実はここもかなり美しい。


金銀池と名づけられた池は、
太陽に照り付けられ本物の金のように輝いている。

またある池は神の浴場と呼ばれ澄んだ水がたゆたう。
周りに生える木々の所為か緑色に彩られた池は、
心を落ち着かせ、なぜかゆったりとした気持ちにさせる。
しばしの間、ここでただ池を眺めていた。

流れる小川も涼し気な音を奏でる。
茂った黄緑色の草原を抜けていく川。
時には川は黄緑の中に姿を消し、音だけがその存在を示している。


いい所だなぁ。


この場所は美しいだけではなく、
静かなのんびりとした気持ちにさせる何かがある。

チベットの人々にとってここは唯の観光名所ではなく聖地。
九寨溝や黄龍にはない雰囲気をまとっているのも、その所為かもしれない。


そういえば、この場所にいる観光客は僕らだけだった。

特別な場所で特別な時間を過ごした。




その帰り道、ドライバーの彼の地元に寄ることに。
さらにはそこで、手作りのランチをいただく。

お店ではない、本物のチベット家庭料理。

うまいのなんの。

味付けもどこかマイルド。
野菜は取れたて、さらに山で採ってきたという山菜も盛りだくさん。

野鶏の肉をダシに使ったスープ。これがまた旨い。
力強いダシ。そんなイメージがぴったりの鶏のスープ。
香辛料をふんだんに使ったそれだけで、おかずには十分といった感じ。

そんなチベットの家庭料理が7品ほどところ狭しと並べられる。
もちろん場所は、チベット人の本物の家の中である。

木で作られた質素な外見。その中には以外にもテレビがあったりする。
しかしガスはまだ来ていないようで、料理はかまどを使って調理する。
かまどにはヤカンが掛けられ随時、もくもくと水煙を出している。

そのヤカンのお湯をさっとコップの中に注いでくれる。
コップの中にはチベットのお茶らしきものが入っている。
お茶というよりも穀物の粉末を使った汁のようなものだ。
味はシンプルな穀物の味がする。クセは少しあるが甘みがあり旨い。

さらには青果という果物で作った果実酒も振舞われる。
ポートワインのような味わい。甘みと酸味が絶妙。旨い酒だ。

最後にはスイカ。
子供と一緒に外に出て種を飛ばしながらかぶり付く。
こうやってスイカを外で食べるのもなんだか久しぶりだ。
夏の日のキャンプ。昔を思い出すのは年をとった証拠?なんて。


周りはいつの間にか村の人たちが集まってきていた。

路上に駐車されていたホンダのバイクをしげしげと見ていると、
一人がキーを渡してくれる。どうやら貸してくれるよう。
キーを突っ込み、久々のバイクの運転。
もちろんセルなんて回らないので、キックスタート。
何度か失敗した後、ようやくバイクは動き出す。

ほんの50メートルほど走らせて戻ってくる。
爽快な、とまではいかないが久々の運転は心地よかった。
どうやら後で考えれば日本と同じように右側通行で走らせてしまっていたけれど。
車などめったに通らない田舎町。あまり関係はなかったみたいだ。


村の中をドライバーの彼と一緒に歩いてみる。
ここで暮らす人々は300人あまり。50軒ほどの家が立ち並ぶ小さな村だ。

チベットの伝統的な家が立ち並ぶ。
中では新しく建設中のものもある。
一階は石造り、二階は木造。台形型に傾斜がかかっている。
石造りの部分は石を積み上げ、泥でシンプルなもの。
これもチベットの伝統的なスタイルだ。

その中の一軒。建設中の家。
なんとドライバーの彼の家らしい。
値段を聞いてみると200万円程度。リッチな奴だ。
彼の車も黒塗りの高級車。ターゲットはお金持ち。
おかげで移動中はかなり楽に過ごせている。

建設中の彼の家にあがらせてもらう。
石で区切られた一階はシンプルそのもの。
一階はダイニングや倉庫。二階は寝室なんだそう。


彼の家を後にし、子供達にさよならをして町を去る。
ここに生きる人たちには何の変哲もない一日だったのだろうけれど、
僕にとっては刺激的な一日だった。

チベット族の村。
もっと特別なものだと思っていたのだが、案外と僕らと同じような暮らしをしている。
毛牛の毛で織物を織り、土と石で家を作る文化は独特だが、
生活をするという部分ではそんなに変わることはない。

人間だもの。結局、そんなに遠くない生き物なのかもしれない。

遠く離れたこの土地に暮らす彼らは、動物園で飼われる見世物ではない。
僕らと同じように呼吸している。

なんだかそんな当たり前のことを感じた。




九寨溝の町まで戻り、3人で最後の晩餐を楽しむ。

お金持ちおじ様にビジネスとは何ぞやと聞いてみる。
なんであなたは成功したんだと。

「正しい人間。誠実な取引。堅実な資産。これだけがビジネスの成功のポイントだ。」

そしてもう一つ付け加える。

「最後にタイミング。これが最も大事なポイントだ。」


彼はある本で読んだこととほぼ同じことを語ってくれた。
その本は「成功者に聞く、夢がかなった理由」といった本だ。
本の中では100人もの人々にインタビューするのだが、
結局、みなが言っているのは「タイミング」なのだ。
そしてそれに対する「準備」だった。

「幸運の女神は後ろ髪がない」という。
それに準備をしていた者だけが彼女を捕まえることができるのだそう。

おじ様が語った言葉もまた成功者の真理だと思った。



僕は今、準備をしている。

明日、それは来るかもしれないし、一生来ないかもしれない。

大切なことはそれに「気づく」ことだ。
僕はそれに「気づく」感性を日々磨いているのだ。


なんてね。


なんだかんだ言ってハッピーならば何でもいいや、そう思うのも確か。
とは言え、おじ様のようにアーリーリタイヤで悠々自適の暮らしをするのも悪くはない。



昔、映画を見た帰り道に好きだった子と交わした会話をたまに思い出す。

「一等賞になりたい?」

そう、その子は聞いた。僕はそれに「うん」と答えた。
その日僕は考えた。本当に僕は一等賞になりたいのだろうか。
そうだとしたら何の一等賞なんだろう。

未だに僕は答えが出せずにいる。



夕食後、彼らと別れる。刺激的な出会いだった。そして別れは必ずやってくるのだ。

また会いましょう。

本当に僕らはまた会えるのだろうか。
そうして僕らは別れを繰り返している。そして出会いもまた。