2008年6月5日木曜日

世界一周 in (8)ベトナム/食べ放題の罠







DATE:2008/06/05 Vietnam - Ho Chi Minh -


今日はホーチミンからの日帰りツアーで
メコンデルタの村を訪れることに。

ラオスから続くメコンの流れに、
今日でお別れというわけだ。


そしてこのメコンデルタツアー。食べまくりなのである。

行き先が、
「フルーツファーム」「ココナッツキャンディー工場」「養蜂所」など、
メコンの豊かさを感じる村々なのだが、
行くたび行くたびに何かしら食べ物が出てくる。

各所で美味いを繰り返してひたすら食べているだけ。
教養もなんにもないのだが、それもまた楽しい。

小さなボートで各村をまわるのだが、これがまたなんとものんびりしている。

そういえば、ベトナムに来てから他の東南アジアの国の観光客に会うことが多い。
マレーシア、シンガポール、中国などなど。
物価も安く観光名所も多いベトナムは、
他の国の人にとっても訪問しやすい場所なのかも。

今日はマレーシアの家族と一緒になり、いろいろおしゃべり。
中華系なのになぜか英語で会話するこの家族。
聞けば、教育の一環として英語での会話を取り入れているのだそう。
英語が必修の国とは言え、これはっけこう異例。
特に中華系の人々は、他と交わらず中国語で会話するのが普通だ。

教育に力を入れる。これが先進国の一つの証かもしれない。


久々にゆったりと観光し、岐路に着く。



そしてその後・・・やはり僕は腹痛に悩まされることになるのである。

くそ。やはり罠か!

最後の最後にメコンの思い出をいただいて、
この街を去ることとなる。


うーーん、やはりあのパイナップルは腐ってたか・・・。

2008年6月4日水曜日

世界一周 in (8)ベトナム/おっさんオバチャン現る







DATE:2008/06/04 Vietnam - Ho Chi Minh -


サイゴン陥落。という言葉がなぜか頭に残っているが、
ここホーチミンは元のサイゴンである。
南ベトナムが敗戦したのをきっかけに改名されたらしい。

そんなわけで30年も経っているのに
いまだに「サイゴン」と言う名前は街でも良く見かける。
明らかに新しい建物にもサイゴンと書かれているのを見ると、
市民の愛着はたっぷりのようだ。


今日はゆっくりと街を歩く。
特にメジャーな建物や観光名所があるわけでもないので、
市場や郵便局のフランス時代の建物などをまわって見る。

この国にもフランスの影響はやはり色濃く、
街並みを見るといたるところにフランス風の建物が建てられている。


そして最も面白いのがベトナム人の顔は今までのどの国とも異なり、
中国人に似た顔立ちだと言うことだ。
ここへ来て人種が変わったことに気づく。

タイ、ラオス、カンボジアの人々は、
異なるもののどこか共通点を感じることができた。

ベトナムの人々は肌が白く、顔もすっきりとしている。
「東南アジア」という大きなくくりから離れ始めたのを、
なんだか如実に表しているようで面白い。


同じようにこの国は中国の影響を大きく受けているのがわかる。
ベトナムは漢字の文化を捨てたはずなのだが、
町中にひっそりと潜んでいたりもする。


料理も今までの国とは異なっており、
いたるところで新たなものを目にする。
正直、フライドライスやフライドヌードルなど
今となってはありきたりな料理に飽きてきたところ。
これからの食生活が楽しみ。

今日は手始めにボーフォーという、
煮込んだお肉が入っているフォーを食べたが、
これがまた絶品。味付けも日本人好み。
ただ、なぜか辛味がないと物足りないw
やっぱり3ヶ月も経てば味覚も変わるもんなのかも。


街を歩いてみるとやはりこの国の経済成長は高いレベルだと言うことがわかる。
高層ビルとまでは行かないが、新しいビルが並び、
街にはプラダやヴィトンの直営店が軒を並べる。
オフィス街へ行けばばっちりとスーツで決めたビジネスマンが、
街を颯爽と闊歩している。


しかしながら文化という意味ではどうなのかね?と思うことも。

勝手に「おっさんオバチャン」と命名したが、
町中のいたるところでおっさんのように胡坐をかき、
大また開きで座っているオバチャンが目に付く。

僕のベトナムのイメージはおっさんオバチャンで満たされてしまった。
傍目で見てるとコミカルで面白いだけなのだが、
ベトナムの美しい女性達が10年後、こうなるのかと思うと
なんだかちょっと複雑な気分になる。

ゴミも町中に散乱しており、
まだまだだねぇ、という印象が大きい。


社会主義国家ということも
たまに見かけるホーチミンの肖像画を見るたびに思い出す。
また、戦争博物館での一方的なアメリカ批判を見ていても、
やはりね。という気がしてくる。



全体的な街の印象を考えると、
変なところで満足しきっている国と言う感じを受けた。
いまいち「成長」というイメージが当てはまらない。
今まで過ごしてきた東南アジアの国としては異質な感じがする。

ドイ・モイという経済政策にて、
社会主義ながらも自由経済を導入するなど、
中国にならった政策を実施しているようだが、
なんとなく成長はここまで。という気がしてくる。
なぜだかはわからないがこの国の通りには活気があまりないのである。


ただし、意外なことにこの国の人間はいい人も多い。
事前にいろんな旅人から聞いていた情報では、
まったくもってデンジャラスでずる賢いイメージだったのだが、
これと言ってそういった人間にはまだ出会っていない。
ホテルもドライバーも、中々いい人間に巡り会っている。

2日目にして判断を下すのは難しいが、
それは大きな収穫であった気もする。
これが続けば良いのだが・・・。


ベトナムでの旅の計画を立てる。
これが意外と忙しい。
15日という期間の間に5つ以上の都市を回るとなると、
けっこうなハードスケジュールになる。

ふとそこで日付の感覚が日本にいる時よりずれていることにも気づく。
15日の休みって日本にいる時は「なんでもできる」と思っていた。
いまや「たった15日」と思う自分がいる。

知らぬ間に何かが変わっている。
それが面白く、怖くもある。


たった15日のベトナム生活。楽しまなくちゃ!

2008年6月3日火曜日

世界一周 in (8)ベトナム/ベトナム上陸作戦







DATE:2008/06/03 Vietnam - Ho Chi Minh -


ベトナムとの国境線。
今回はビザなしでOKのために楽々♪

プノンペンからバスに乗り、ホーチミンまでひとっ走り。
国境で出国入国のために下車したけれど、
いとも簡単にベトナムへ入国!

文字がやっとこアルファベット系になる。
なんだか読める気がしてくる。素敵だ。


ベトナムに来てまず驚いたのは、
カンボジアと比べて明らかに豊かだということ。
道路、建物、服装。
全てが経済発展を見せつけるかのように良くなっている。
さすが戦争に負けずに生き残った国というところか。
タイやマレーシアには遠く及ばないが、
ラオス、カンボジアと渡って来た身には、久しぶりの「街」を感じる国である。


しかしホーチミンに着くと客引きがひっきりなし。そこは変わらない。
やはりここは東南アジアの国なのだ。

客引きのドライバーを振り切り適当な宿にチェックイン。
そこで一人の日本人に出会う。


彼はベトナム滞在5ヶ月目。語学勉強のための滞在らしい。
聞いてみるといろいろ面白く基本的には語学の専門家で、
この国でそういった言語学などの教師をしようと企てて日本からやってきたそう。
彼の人生経験も面白く、話はあっちこっちに飛びながらいつの間にか夜が更けてしまった。
久々に面白い人間に遭遇。偶然とはかくも楽しいものなりね。


さてベトナム。何が起こるやら。

今まで聞いた情報ではまったく良い点を聞かなかった国。ベトナム。
まぁ、それもそれで楽しみでこの国で遊んでみよう。

気づけば東南アジアも最後の国になってしまった。
そろそろ世界に向けて旅立つ準備をしなくちゃな。


第8ヵ国目、ベトナム上陸!

2008年6月2日月曜日

世界一周 in (7)カンボジア/また来よう。そんな国だったな







DATE:2008/06/02 Cambodia - Phnom Penh -


最終日。
町を回り、最後のカンボジアを楽しむ。

カンボジアに来てからの発見は、この国の博物館の充実振りだ。
それだけ元々の文化の下地が良かったと言うことだろう。
プノンペンでも博物館を訪れたがこれもまた意外なほどに楽しめた。


最後の夜、出会った友と酒を酌み交わし更けていく。



この国に教わったもの、感じたもの。

なんだろう漠然としているままで、何もわかった気はしない。
そもそも「わかる」というのも大それた話だが、
それでも今までの国には何らかのイメージが作られたのだが、
この国はなんだかよくわからないまま過ごしてしまった。


文化という面で。
アンコール・ワットを始めとする沢山の遺跡群に代表されるように、
やはり培ってきた文化は相当に高いレベルなのだと思う。

また人々の知識や能力と言う意味でも、
その文化を裏付けるように驚かせられることが多かった。

内戦で粉々にされた今でもそれは息づき、
また再生へと向かっているのが肌でわかる。

この国はまだ伸びる。ポテンシャルと言う意味では、
今まで訪れたどの国よりも高い、そう感じる国だった。

人材と言う意味で本当に優秀な人材は、
ポル・ポト政権時代にすべて殺されてしまったという話も良く聞く。
政府に歯向かうだけの人間ということは知識人である可能性も高く、
優秀な人材が抹殺されたと言うのは納得感がある話しだ。
ぽっかりと空いたその世代。失ったのは知恵、文化。
親のいない子供達。そしてその彼らが成長し大人になった今。
自力での再生はまだ始まったばかりだ。
しかし未来は明るい。彼らを見ていると安直にだがそう思えるのだ。


ただしその背景には「貧しさ」という影も隠されている。
もっとも観光地にあふれるような物乞い達は見せかけで、
単なるパフォーマンスとしてやっているように感じた。
楽で簡単に稼げるオシゴトというわけだ。
カンボジア政府はそれを良く知っていて、
観光地での物乞いに物を与えないようツーリストに警告を発している。
価値を生まず、学びもしない子供たちは将来、大人になる。それがこの国に何をもたらすか。
そこを政府はきちんと見据えているのだ。

しかし貧しさは確かに存在する。
本当の貧しい人たちは「内戦の被害者」たちに隠されているのかもしれない。
被害者とひと括りにしてしまえば全国民なのだろうが、
その中でも地雷などで腕や両足、目や顔、
自らの体の一部を失っている人間が本当に沢山いることを知った。
町を歩けば、目に付くほどに当たり前に彼らは存在していた。
そして彼らは年間数百人というスピードで今も量産され続けている。

そこにあるのは本当の「貧しさ」なのだろう。
各国の援助でどうにか生き抜いてきているこの国の政府は
被害者の生活を保証するまでの余裕はない。

彼らは生きなければならない。自らの力のみで。
その失われた身体で。

その余裕のない、容赦のない貧しさ。
それに対して何もできない空しさ。

カワイソウというレベルを遥かに超えたその現実は、
目を背けることなどできぬほど日常にあふれている。


たった一人の人間に何ができるの?


そう言ってしまえばそれまでだけど、
被害者だってたった一人の人間なのだ。
一対一の関係に逃げ場所なんてありやしない。

腕の無い、骨の突き出た肩を持つ少年。
その骨の腕で僕の手をつかまれた時、僕はなにもできなかった。
抱きしめることも。微笑むことも。
ただ僕は彼を覚えていることだけしかできていない。

一度だけ。
プノンペンで出会った、顔の半分が爛れ肉塊となっていた青年。
恐らくは物乞いをしに近づいてきた彼に、にこりと笑いかけてみた。
彼はその失った顔で僕に笑い返し、ゆっくりと去っていった。
自己満足なのだろう。それでも僕は救われた気がしたのだ。


10年後。この国はどうなっているのだろう。
あの美しいアンコール・ワットはいつまでも存在しているのだろうが、
そこに暮らす人々はどんな暮らしをしているのだろうか。
希望はあふれている。この国の人々のしたたかさに。子供たちの笑顔に。


また来よう。
そう思うのは遺跡だけではなく、
この国の人々に強く興味を持つからなのだろう。

もう一歩。この国の人々に踏み込めなかった悔しさ。

それもまた一つの経験さ。そう思い、カンボジアを去ろう。


またね!

2008年6月1日日曜日

世界一周 in (7)カンボジア/これから町







DATE:2008/06/01 Cambodia - Phnom Penh -


カンボジアの首都プノンペン。
バスに揺られて6時間、アンコール遺跡を後にしてカンボジア最後の都市に足を踏み入れる。


なんだろうな、この町は。

何もないと言えば何もないし、
かといって無視できる存在ではない。
そんな感じ。

特にこれといった観光名所はないのだが、
町自体が「これから」という印象を与える。

内戦やアジア危機などの影響を受けて、
この町自体が発展を始めたのはほんの十年ほど前のはずなのだが、
市場は賑わい、大きな百貨店ができ、町には車が走り回る。
思った以上の発展度合いにかなりの驚きがある。


その中心を担ったのは中華系の民族だろう。
町を見れば中国語があふれその影響が如実に見える。

もともとが歴史的に中国の社会主義を模倣するなど、
近しい存在だったためだろうか。
それでもポル・ポト時代には中華系の人間はほぼ虐殺されたらしいため、
人々はそのときの生き残りや、それ以降の移民などなのだろう。

彼らの複雑な歴史がこの町を支えているような気がする。


カンボジアの時間もあと一日。
この国の複雑さをさらに感じながら、もう少しだけ居候をしよう。